計画と建艦とは? わかりやすく解説

計画と建艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 02:39 UTC 版)

レオポルドゥス・プリムス」の記事における「計画と建艦」の解説

レオポルドゥス・プリムス」と、恐らく同型艦である「ヴァーペン・フォン・ハンブルク」(初代)計画と建造1663年に始まる。計画文献初出するのは、同年6月4日提督府の議事録である。商人、ディートリヒ・ファスマーが全商業者代表としてトルコ人対抗できる何隻かの艦を市が建造、あるいは購入すること」 を提案した従来不適な商船代わり以後純然たる軍艦ハンブルク貨物船保護配慮することとなった早くも9月23日には、市民会議フリゲート2隻の建造提案する。その資金調達のため「濠金」(ドイツ語: Grabengeld、グラーベンゲルト)、すなわち市壁水濠建造補強防備のための支出倍加されることになる。間もなく市民議会諸計画賛同した。 「レオポルドゥス・プリムス」の建造について伝わる情報多くない建造開始は、不明理由によって著しく遅れる。諸計画は、ほぼ忘れ去られたかと思われた。1665年2月、「立派な商人」7名が創設し間もないハンブルク商人の代表機関商業委員会ドイツ語版)が建艦催促した1666年6月27日、それがいまだに始まっていなかったので、同委員会は再び計画注意を促す10月31日市民議会改めて2隻の建造承認したが、この時には建艦開始してから濠金を支払うという条件付けている。 1666年11月1667年1月商業委員会重ねて建艦催促した後、誰が両艦の建造費用を負担するのか、という議論発生した提督府と商業委員会の間で数多く書簡交わされる中、費用分担を巡る審議協議はなおも進展見せなかった。 結局起工1667年中に実施された。1隻は市金庫が、もう1隻は商業委員会負担することになり、それぞれの出資者監督する中で建艦されたのである。両艦の建造は、名前が伝わっていないネーデルラント船匠指導下、ネーデルラント模範従い純粋に職人の手実施された。すなわち、設計図用いられていない同時代船匠誰もが書類記録されたり、譲渡されたりすることのない、厳しく守られ家伝秘密受け継いでいたのである建造の場としてはダイヒトーア(堤防門)付近広場利用された。皇帝レオポルト1世表した艦尾像など、彫刻作業ハンブルク彫刻家、クリスティアン・プレヒト(ドイツ語版)が担当した。この像は現在、ハンブルク歴史博物館英語版)に展示されている。 木工作業起工と同じ年に終わり1668年2月からは艦の艤装が始まる。同年9月、「レオポルドゥス・プリムス」は出航準備完了しその旨市議会報告された。しかし、同艦はすでに4月には完成していたと思われる。なぜなら商業委員会のある覚書が、その時点で「新造護衛艦」に言及し同年の夏には準備が整うとしているからである。「レオポルドゥス・プリムス」はM. ドライアーを初の艦長頂き処女航海出たこのように重要な艦の名を、遥かなウィーン厳格にカトリック信仰する皇帝にちなん付けたことは、神聖ローマ帝国国事にあまり関って来なかったハンブルクにとってかなり異例であった。その動機としては、この命名問題題材とする手書きの詩が挙げられるDie hamburgische Fregatte. Ihr Edle, haltet Rath! wie wollet Ihr benennen Das neuerbaute Schiff? wobey soll man es kennen, Wann andrer Orten kombt? Solls der Neptunus sein? Warumb ein Heiden-Gott? Ein heller Sternenschein, Wie Amphora, wär guth, Aquarius von gleichen, Allein die Argo wird ja schwerlich diesem weichen. Die führte fünfzig vier, so edell allzumahl So rittermäßig all. Dis Schiff an gleicher Zahl Führt auch soviel Geschütz, die müsste man beachten, Dis hat so etwas Grund, doch kan man weiter trachten, Zu finden einen Nahmen, der herrlich allen sey, Der aller Völker Furcht, der dan diss Schiff befrey Von Unlust, von Verdruss, so wirds dann heissen müssen, Der Kayser Leopoldus, dem ich leg zum Füssen. J.V.S. Philolingius ハンブルクフリゲート 貴顕なる方々よ、話し合われよ!いかに名づけるのか この新たに造られし船を。何によって認められるべきか? 異郷至り時に。それはネプトゥーヌスあるべきか? なぜ異教の神なのか?明るい星の輝き、 さもアンフォラ如き良かろうみずがめ座同じくアルゴ座もほぼそれには劣るまい。 そは54(の星)を引き連れる。みな共にかくも気高し。 みなかくも騎士如し。この船も同じ数の 砲を備え、そこに意を払うべし。 それには理由があるが、さらに努めることもできる。 見つけるにあたって誰にも素晴らしき名を。 全ての民の恐れとなり、かくしてこの船を解き放つ嫌気や不愉快より。ならば名乗らねばなるまい皇帝レオポルドゥスと。私が足下ひれ伏すその方(の御名を)。 作者1664年トルコ軍ヨーロッパ進撃阻止したレオポルト1世率い神聖ローマ帝国軍のモーガースドルフにおける勝利ドイツ語版)に触れていると考えられている。この皇帝イスラム教徒海賊対す守護聖人に頂くことは、つまり当然の発想だったのである。さらにレオポルト1世通商政策は北に目を向けたものであり、ハンブルク輸出および海外交易積み替え港として必要であったという事情も加わる。これらの計画は、まだまだ帝国自由都市としてのハンブルク地位否定していたホルシュタイン公対し強力な同盟者を得ることになったハンブルク市民にとって歓迎されるものであった皇帝ハンブルク友好関係は、ハンブルク厳格に中立貫いた三十年戦争の時代由来する

※この「計画と建艦」の解説は、「レオポルドゥス・プリムス」の解説の一部です。
「計画と建艦」を含む「レオポルドゥス・プリムス」の記事については、「レオポルドゥス・プリムス」の概要を参照ください。

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