作戦と準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 03:08 UTC 版)
ワシントンはホワイトプレインズで敗れた後、ワシントン砦の放棄を検討した。しかし、ワシントンがその見解を高く評価していたグリーンは砦を死守することが可能であり、そうすることが重要だと考えていた。グリーンは、砦を守り抜けばハドソン川を通じた通信を続けることができ、イギリス軍がニュージャージーを攻撃したとしても抵抗できると主張した。マゴーとパットナムもグリーンと同意見だった。ワシントンは本能的に砦を放棄すべきと考えていたが、グリーンの意見に従うこととしたので、ワシントン砦は放棄されなかった。 ワシントンはドブス・フェリーまで後退した後でその軍隊を3つに分けた。7,000名の部隊がチャールズ・リー将軍の指揮でハドソン川東岸に留まり、イギリス軍のニューイングランド侵攻を阻止することとした。ヒース将軍の指揮による3,000名はハドソン高地を守り、イギリス軍がさらに北上することを阻止し、ワシントン指揮下の2,000名がリー砦に移動することになった。11月13日、ワシントンの部隊がリー砦に到着した。 ハウはその時点で最優先事項はワシントン砦を攻撃することだと判断した。その作戦は、この時援軍を受けて3,000名が守る砦を3方向から攻め、4番目の部隊を囮に使うことだった。ヴィルヘルム・フォン・クニプハンゼン将軍の指揮するドイツ人傭兵部隊が北から砦を攻撃し、パーシーがドイツ兵1個旅団とイギリス兵数個大隊を率いて南から、チャールズ・コーンウォリス卿の第33歩兵連隊とエドワード・マシュー将軍の軽歩兵部隊が東から攻撃することとされた。陽動部隊は第42ハイランダーズであり、マンハッタン島の東側から砦の南に上陸するものとされた。しかしハウは攻撃に掛かる前に大陸軍に砲撃することなく降伏を強いようとした。11月15日にジェイムズ・パターソン中尉に休戦の旗を持たせ、砦が降伏しなければ守備隊全員を殺すという伝言を伝えさせた。マゴーは「最後の極み」まで砦を守るつもりだと回答した。
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