海上での戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 22:34 UTC 版)
マキン島の陸上戦は終結したが、日本海軍はギルバート諸島の支援のために、航空機と潜水艦を送り込んでいた。翌24日と25日には、日本軍機がマキン島支援のために飛来したが、アメリカ軍機動部隊が発進させた戦闘機に阻止されて、いずれも敗退した(ギルバート諸島沖航空戦参照)。ギルバート諸島支援を命じられた9隻の潜水艦のうち、24日には「伊175」(田畑直艦長)がマキン島近海に達しており、旗艦の護衛空母「リスカム・ベイ」を中心に、戦艦「ニューメキシコ」、戦艦「ミシシッピ」、重巡洋艦「ボルチモア」などで編成された第52任務部隊の輪形陣に接近した。輪形陣からは駆逐艦「ハル」がマキン島への艦砲射撃、駆逐艦「フランクス(英語版)」が日本軍機が投下した照明弾を調査するため艦隊を離れており、輪形陣に隙が生じていた。 「伊175」は一旦、戦艦「ニューメキシコ」のレーダーに捉えられたが、その後見失ったため、艦隊では特段の警戒をしていなかった。「伊175」が「リスカム・ベイ」に距離900mまで接近したときには、「リスカム・ベイ」は艦載機の発艦準備中で、ジグザグ航行を行っておらず、また風向きに正対するため、「伊175」に艦側面を晒すこととなり、絶好の雷撃姿勢となってしまった。やがて「伊175」は4本の魚雷を発射し、1本が機関室後部に命中した。残り3発の魚雷も同じく輪形陣の中央にいた護衛空母「コーラルシー」と「コレヒドール」の至近を通過していったが、命中は免れた。 魚雷が命中したときの「リスカム・ベイ」は飛行甲板に発艦準備中の14機の「F4Fワイルドキャット」と「TBFアベンジャー」が並んでいたが、命中した魚雷は「カサブランカ級航空母艦」の欠点であった非装甲の爆弾貯蔵庫付近に命中し、大量の航空爆弾を誘爆させたため、一瞬にして飛行甲板の殆どが14機の艦載機ごと破壊されて、出撃準備中であった39人のパイロットのうち14人が即死した。誘爆は格納庫内に搭載されていた7機の艦載機にも及んで、爆炎は高さ30mまで立ち上り、残骸が艦隊の他艦船に降り注いだ。爆炎が収まった時には「リスカム・ベイ」の後半部分は存在しておらず、そこに乗っていたはずの水兵は全員爆死していた。その大爆発の様子を見ていた他の艦艇の水兵が「弾薬集積庫のようだった...リスカム・ベイは爆発とともにまさにオレンジ色の火の玉となった」と驚いたほどであったが、「リスカム・ベイ」は魚雷が命中したわずか23分後には右舷に傾きながら海中に没していった。 「リスカム・ベイ」には第52任務部隊第3群司令官のヘンリー・M・ムリニクス少将が座乗していたが、艦長のアーヴィング・ウィルツィー(英語版)大佐を含む701名の乗組員と共に海中に没した。「リスカム・ベイ」の水兵の死亡率70%は、アメリカ海軍が失った空母の中で最悪の戦死率となり、ムリニクスは第二次世界大戦において、敵の攻撃により戦死した海軍少将5人のなかのひとりとなった。第5艦隊司令官で作戦全体の司令官でもあったレイモンド・スプルーアンス提督は、マキン島が1日で攻略できると考えていたが、予想外の苦戦で、4日間も支援艦隊がマキン島近海に止まっていることに不安を感じていた。その不安が的中して手痛い損害を被ることとなって激怒し、リッチモンド・K・ターナーにその原因について報告を求めたところ「閣下(スプールアンス)だけに申し上げる」として以下のような報告が上がってきた。 原因は州兵師団というシステムにあり、また同師団が戦闘の経験を欠いていたことと、士気の中心となるべき将校、および下士官を欠いていることから、それが当然の結果と思うものであります。率直に言って、この師団の行動は攻撃開始前から苛立たしいものがありましたが、現在でも依然として苛立たしい状態のままであります。 第27歩兵師団はこの後のサイパンの戦いでも拙い戦闘を繰り返したため、激怒した第5水陸両用軍団司令官のスミスが、第27歩兵師団長スミスを更迭する「スミス対スミス事件」が発生し、終戦まで続く、アメリカ陸軍、アメリカ海軍、アメリカ海兵隊3者の争いを激化させている。
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