海上での交戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/15 09:15 UTC 版)
「1798年5月30日の海戦」の記事における「海上での交戦」の解説
5月30日の朝、ル・アーヴル沖を航行していたイギリスの戦隊は西へと進むフランス艦を見つけ、追跡した。この戦隊はラフォリー艦長の38門艦ヒドラと、続いてロバート・フィッツジェラルド艦長の臼砲艦ベスビアス、そしてヘンリー・ガレット海尉が指揮するトライアルだった。イギリス軍に追跡されているのに気が付いたペヴリューは、ジェズーヴとカッター船に岸へと撤退するように命令し、ヒドラの前方へ上手回しに進んで、長距離砲を放ったが失敗に終わった。ラフォリーは敵艦になおも接近し、6時に上手回しでヒドラをコンフィアントとヴェジューヴの間に入れることに成功した。ヴェジューヴは向きを変えて岸に向かった。イギリス艦はフランス艦の砲火を浴びたが、この攻撃はあまり功を奏せず、ラフォリーはヴェズーヴに舷側砲を浴びせることに集中でき、ベスビアスとトライアルにヴェズーヴを追跡させて、急速な動きで海岸の近くへと追いやった。その後ラフォリーはコンフィアントの後をつけた、コンフィアントはル・アーヴルへ戻ろうとしていた。共にいたカッター船はイギリス戦隊の追跡から逃れられず、乗員は故意に船をディーヴ川の河口に座礁させた。 6時30分、ヒドラはコンフィアント艦上のプレヴューに追いつき、猛烈な砲撃を始め、フランスも可能な時に砲撃を返した。この交戦は45分間続き、7時15分にコンフィアントは大きな損害を受け、ディーヴ川河口西部から少し離れた村、ブゼナル(英語版)の近くの砂州に乗り上げた。コンフィアントはこの座礁でメインマストが倒れて木端微塵になり、敵の砲火の下でそれ以上の戦略を行うのは不可能になった。ヴェズーヴはイギリスの攻撃を避けようとして陸に乗り上げすぎ、ルコリエはやっとのことで艦をディーヴ川の河口の内側に着けた。満ち潮によってヴェズーヴは岸から離れ、ルコリエはしばし西のカーンの方へ逃げることを模索したが、警戒していたトライアルとベスビアスによって、岸へと追いやられた。この2隻のイギリスの小型艦は、その後ヴェジューヴに長距離砲を放った、それはあたかもヒドラが、西の海域でコンフィアントに対してやったのと同じだった。9時30分、潮が引き始めたため2隻のイギリス艦は沖合に戻った。ラフォリーは、フランスの船団が乗り上げた場所から約5マイル(8キロ)北西の海域で、自分の戦隊の艦を集めた。
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