赤軍の反攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 01:49 UTC 版)
赤軍はドイツ軍の攻勢が停止した後に行うことになっていた大規模反攻を7月12日にクルスク突出部の北側で開始し、ドイツ軍に占領されていたオリョールの解放を目指して攻勢にでた(クツゥーゾフ作戦)。この攻勢により、オリョールは8月5日に解放された。8月3日にはクルスク突出部の南側でも反攻(ルミャンツェフ作戦)を開始し、ドイツ軍に占領されていたハリコフは8月23日に解放された。 クルスクの戦いの始まりはドイツ軍がツィタデレ作戦を開始した7月5日で明確であるが、赤軍の大規模な反攻は継続したため終わりは明確でなく、ハリコフの解放までをクルスクの戦いとする見方が多い。 その後も、赤軍の攻勢は続き、ヒトラーはドイツ軍をドニエプル川の西岸まで撤退させることを承認(9月15日)せざるを得ない状況となる。しかし、赤軍の追撃は急でドニエプル川に向けてドイツ軍と赤軍の競走が行われた。この競走の結果、赤軍はドニエプル川の西岸に小さいながらもいくつかの橋頭保を確保することに成功し、これが11月のキエフの解放に重要な役割を果たすことにる。
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