赤軍の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 16:00 UTC 版)
ヴィスワ川対岸のプラガ地区の占領に成功した赤軍は、市街地への渡河が容易な状況にあったにもかかわらず、国内軍への支援をせずに静観した。赤軍と共に東方からポーランドへ進軍しプラガ地区に到着していたズィグムント・ベルリンク将軍の率いる第1ポーランド軍(英語版)のみが対岸の国内軍支援のための渡河を許され、彼らポーランド人部隊はベルリンク将軍以下必死でレジスタンスへの支援をしたものの、その輸送力は充分ではなかった。赤軍は輸送力に余裕があったにもかかわらず第1ポーランド軍に力を貸さなかった。のちにポーランド人民共和国最後の国家指導者で1989年の新生ポーランド共和国初代大統領となったヴォイチェフ・ヤルゼルスキはこの時、第1ポーランド軍の青年将校として現地におり、物資補給作戦に参加している。彼はこのときの燃え盛るワルシャワ市街を眺めながら、蜂起を傍観した赤軍に対して涙ながらに感じた悔しさをのちに自伝『ポーランドを生きる』のなかで赤裸々に吐露している。 ソ連はイギリスやアメリカの航空機に対する飛行場での再補給や、西側連合国による国内軍の航空支援に対し同意せず、質・量に勝るドイツ軍に対して劣勢に回り、蜂起は失敗に向かっていく。
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