赤軍による攻勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 06:56 UTC 版)
コーネフは3月15日に大規模な攻勢を開始した。第4戦車軍はオッペルン(オポーレ)の西部でドイツ軍の戦線を突破し、そのまま南下してノイシュタット(プルドニク)を目指した。第4戦車軍の攻撃は、ナイセ(ニサ)の占領を目標に展開された。オッペルンの南東では、第59軍と第60軍が進撃し、第59軍は西へ移動して第4戦車軍と合流した。ドイツ第11軍団(de)はオッペルン付近の戦線を保持していたが、包囲の危機に晒されていた。 南部では、第38軍がモラヴィア高地を背にして防衛しているゴットハルト・ハインリツィ上級大将麾下の第59軍団(en)を攻撃した。ハインリツィ上級大将は、3月10日に小規模な撤退を命じており、被害を最小限に抑えることに成功し、第59軍団の戦線は堅固なものとなっていた。
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