赤軍による占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 07:08 UTC 版)
「ヴァルテラント帝国大管区」の記事における「赤軍による占領」の解説
1945年1月、ヴァルテラント帝国大管区は、赤軍の大攻勢(ヴィスワ=オーデル攻勢)によって終焉を迎えた。東部戦線では数ヶ月間、静寂を保っていたが、その後、ソヴィエト軍は1月12日ヴィスワ=オーデル攻勢を開始した。最初の数日ですでにドイツ側戦線を完全に撃破し、ソヴィエト軍はほとんど軍事的抵抗を受けず、わずか2週間でオーダー川まで進出した。 1月16日、赤軍は帝国大管区の境界を越え、翌日にはヴァルテラント最大の都市「リッツマンシュタット」(ウッチ)を占領した。わずか1週間でヴァルテラントのほぼ全域を占領した。1月20日には大都市レスラウ、ホーエンザルツァ、1月21日にはグネーゼン、1月23日にはカーリシュが陥落した。 1月22日、赤軍の構成の先端が、行政の首都ポーゼンに到達した。ポーゼン要塞(ドイツ語版)司令官のエルンスト・ゴネル(ドイツ語版)大佐は、押し戻されつつあるドイツ国防軍、また動員可能な全残存兵力からなる総勢3万から6万で防衛にあたった。赤軍はすでにオーダー川に到達し、軍事情勢は絶望的であったにもかかわらず、包囲されたポーゼン要塞地域では血みどろの市街戦(ポーゼンの戦い(ドイツ語版))が1か月間続いた。1945年2月23日午前6時、旧プロイセンの要塞の中核部に最後まで残ったドイツ側部隊が降伏し、ついにヴァルテラント全域がソヴィエトの支配下となった。
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