国家指導
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「ジェファーソン・デイヴィス」の記事における「国家指導」の解説
1862年6月、戦争が激化する中で主要戦線の一つである北バージニア戦線の総司令官ジョセフ・E・ジョンストン大将が負傷する事態が発生した時、恐らく人事面で最も成功した決断となるロバート・E・リー大将を北バージニア軍に抜擢する決断を下した。それまで大きな役割を与えられていなかったリー将軍は北軍に対して大きな軍事的功績を上げ、戦局を大きく覆す勝利を得た。気難しく周囲の閣僚や高官達を信任しなかったデイヴィスはしばしば独断で戦争政策を取り決めたが、リー将軍の提案に関しては信頼を寄せ、これを容認する事が多かった。 1862年12月、デイヴィスは自ら西部戦線の前線を視察して、兵の閲兵を行うなど前線の士気を鼓舞する為に労を払った。彼は連合国が国家資源や国力の面でそもそも合衆国に大きく差を付けられている事を理解しており、連合国が合衆国から対外的な独立を維持するには危険な攻勢には転じず、徹底して戦略的防御に徹し続ける事が唯一の方策であると結論していた。デイヴィスのこうした持久主義は連合国軍の基本路線となり、特に輸送路の要である首都リッチモンドの防衛には全力を注がねばならないと考えていた。しかし南軍が優勢に転じて合衆国政府に動揺が広がるのを目の当たりにすると、次第にデイヴィスも首都ワシントンの占領による講和という短期決戦論に傾き始め、軍による攻勢計画を承認する決断を下した。そして攻勢計画は戦力に勝る北軍の前に頓挫して、アンティータムの戦いとゲティスバーグの戦いで破局を迎える結果となった。1863年8月、リー将軍は二度に亘る攻勢作戦の失敗から退任を自ら申し出たが、デイヴィスはリーを慰留する事に努めた。 歴史学者達の幾人かは、デイヴィスが人事面で実力の有無より自身が信頼するか否かで決断を下した事と、戦時下での経済拡充を最初から放棄していた事を適切な国家指導ではなかったと指摘している。戦争後期までデイヴィスは連合国大統領が軍の最高指揮官を兼ねる事を必要視し、効率面から連合軍最高司令官職を創設すべきとする意見を却下し続けた。1865年1月31日になって漸くデイヴィスは信任するリー将軍を連合軍最高司令官に任命したが、余りにも遅すぎる決断であった。またデイヴィスは持久戦に備えて、或いは郷土防衛の色合いが強い南軍が結束を失わないように、南部連合国の領土を出来る限り失わない配慮をしたが、これはデイヴィス自身が理解していた連合国の乏しい資源を更に分散させる事と同義であった。更に当初の持久路線を支持する論者からは最終的にリー将軍に説き伏せられる形で攻勢計画に転じ、軍の短期決戦論を抑えられなかったと批判される傾向にある。 恣意的な人事については米墨戦争以来の盟友であるブラクストン・ブラッグ将軍を、重要な会戦で失策を犯して司令官たちの信頼を失っているにも関わらず交代させることを却下している。逆に実績があるものの反りが合わなかったジョセフ・ジョンストン将軍を更迭してジョン・ベル・フッド将軍をテネシー軍司令官に任命している。後にフッドはアトランタ失陥とテネシー軍の壊滅という失態を犯し、後に再任されたジョンストン将軍は「ウィリアム・シャーマン将軍率いる北軍を撃破せよ」との命令に対し、打撃を受けた自軍では「シャーマンを悩ます程度の事しかできない」と返答している。 内政面ではデイヴィスは自らも退役将官という事もあり兵士や士官への閲兵や激励に労を厭わない一方、国民に向けて熱心な演説を行う事は余りなかった。戦争を通じて高まりつつあった連合国国民としての一体感や国家主義的な雰囲気を、デイヴィスは有効に活用する事をしなかった。デイヴィスは民衆を奮い立たせる様な演説を得意とせず、代わりに運命に従って死に向かうように諭す事が多かった。デイヴィスは二度に亘る前線への閲兵を除けば派手な示威行為を殆ど行わず、リッチモンドでの実務に情熱を傾けていた。新聞などの報道機関は未発達で、地方では十分に首都における大統領の動向を広める事ができず、戦局が悪化するにつれて大統領への不信感を根付かせることになった。また国内の戦時経済は日に日に悪化していき、1863年4月には首都で大規模な食糧暴動が発生している。デイヴィスの気難しさは最も近い立場である筈の副大統領アレクサンダー・スティーヴンズとの口論まで生み出した。独立心の旺盛さから南部連合に加わった各州の政治家達との協議も、柔和さに欠けるデイヴィスとの論争で暗礁に乗り上げることが多かった。
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