戦後の中国での反応とは? わかりやすく解説

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戦後の中国での反応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 19:32 UTC 版)

支那」の記事における「戦後の中国での反応」の解説

また戦後においても支那使用する石原慎太郎に対して朱建栄は「日本中国侵略した時に差別言葉として使ったのは間違いない外交上の配慮が少しでもあれば、当の中国嫌がっている言葉で呼ぶことは考えられない」と批判した加藤徹は「中国人が『支那』という日本語違和感感ずるのは、同じ漢字文化圏の国だからである。互い自称漢字書けばそのまま意味が通じるのに、日本人はわざわざ『支那共和国』という国名作った中国人はそこに、悪意屈辱感じたのだ。国どうしでも個人どうしでも、対等の関係なら、相手自称認めるのがマナーであろう」と指摘している。評論家八幡和郎は、著書の中で「支那といって抗議され由縁はないはずだが、あえて相手の嫌がる呼称を使うこともない。それが大人の対応だ」と述べている。 中国メディアの「今日頭条」は南北朝時代から日本人にとって数百年間中国」という言葉日本本州西部位置する山陰地方山陽地方有する中国地方だったと指摘し1912年登場した中華民国、現在で「中国」と聞いて大陸にある地域国家中華人民共和国想起するようになったのは戦後からだと指摘している。 また英語の「チャイナ」など、多く言語では「シナ」と同じ語源を持つ呼称用いられていることを理由に、あえて「支那シナ)」を使う人もいる。小谷野敦自身著書で、インドシナ印度・支那)を含む東南アジア中国に対してシナ系の呼称用いることを挙げ王朝時代を含む中国の歴史文化に対してシナ」と呼んでいる。 中国メディアでは、日清戦争日本勝利した際に、熱狂した日本民衆が「日本勝った支那負けた」と叫んだとし、結果として支那」が蔑称変化したという主張なされるが、サーチナ鈴木秀明は、(戦争の是非は別にして)戦勝国となった当時日本国民が喜ぶのは正常な現象で、「支那負けた」で「支那蔑称になったわけではない述べたまた、支那蔑称である」との主張が主に中国人からなされていることについては、蔑称の定義には該当せず、蔑称として使用されたこともないしながらも、当時日本国民多く中国および中国人対す蔑視感情を持つようになっていったはずだとの見方示した中国では21世紀に入っても「支那シナ)」表現への反発があり、2008年には重慶市飲食店が、店名の「支那火鍋」をインターネット上で批判され廃業追い込まれている。

※この「戦後の中国での反応」の解説は、「支那」の解説の一部です。
「戦後の中国での反応」を含む「支那」の記事については、「支那」の概要を参照ください。

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