戦後の事業拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 03:25 UTC 版)
小佐野は1945年(昭和20年)からホテル事業に進出した。これは敗戦直後、経済活動が停滞し現金が不足する最中、根津嘉一郎と五島慶太が、小佐野にそれぞれ熱海ホテル、山中湖ホテル、強羅ホテルの売買を持ちかけたのが始まりである。これに応じた小佐野は、当時先行き不明だったこれらの観光資産を買収した。東急グループ総帥・五島慶太とは、この強羅ホテル売買交渉を機会に知遇を得た。 1946年(昭和21年)には、東京観光自動車と東都乗合自動車を東京急行電鉄から譲り受けてバス事業に進出した。 翌1947年(昭和22年)、社名を「国際興業」とした。この年小佐野は、旧伯爵家(旧下総佐倉藩堀田家)堀田正恒の令嬢・堀田英子と結婚している。 しかし小佐野は1948年(昭和23年)、ガソリンの不正使用の疑いで、当時日本を占領していた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって逮捕された。同年9月重労働1年、罰金74,250円の有罪判決を受けた小佐野は、翌1949年(昭和24年)3月に仮釈放されるまで服役することになった。 その後も小佐野は精力的に事業を拡大、1950年(昭和25年)には長岡鉄道(現在の越後交通)のバス部門拡充への協力を機に、当時同社社長だった後の内閣総理大臣・田中角栄との親交を深めた。 1963年、田中角栄が大蔵大臣であった時代に、小佐野は霞が関に隣接する虎ノ門の国有地3600平方メートルの払い下げを受ける。払い下げは親交のある田中との癒着によるものとの疑惑が浮上するほど、両者の関係は知れ渡っていた。小佐野は払い下げの疑惑について、裁判所の和解調停を経た土地を入手したものとして噂を一蹴した。
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