東都乗合自動車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 03:37 UTC 版)
1935年(昭和10年)、京王電気軌道と玉川電気鉄道の共同出資により東都乗合自動車を設立。板橋乗合自動車は東都乗合自動車へ全事業を譲渡した。 1938年(昭和13年)4月1日、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄へ合併された。同年4月2日には陸上交通事業調整法が公布、1940年(昭和15年)1月31日には陸運統制令が公布され、鉄道・バス事業者の戦時統合が進む。これにより東京急行電鉄が統合主体のひとつとなり、いわゆる「大東急」が成立した。 1944年(昭和19年)5月31日、京王電気軌道も大東急へ合併された。東都乗合自動車は同1944年末、鳩ヶ谷自動車と中山道乗合自動車の2社を合併した。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}中山道乗合自動車は経営状況が極めて悪かったため、昭和初期に他社への身売りが検討され、東京大宮乗合自動車を買収先として一度契約が締結された。ところが同社の将来性に着目した東京横浜電鉄社長の五島慶太が割って入り、1936年(昭和11年)に契約を破棄した。その結果、中山道乗合自動車は一転して東京横浜電鉄傘下へ収まることとなった。五島は、中山道乗合自動車を傘下に収めた勢いをそのままに、埼玉県の中山道周辺で競合していた各事業者を次々に合併・買収していった。蕨駅周辺で運行していたワラビ乗合、与野町周辺で営業していた与野自動車、浦和‐美女木間を運行していた美谷本乗合などが、全て東京横浜電鉄の傘下へ収まった。[要出典] 東都乗合自動車は以上のようにして、東京都城北地域から、埼玉県中山道・岩槻街道・国道463号周辺に路線を有する大規模事業者となるに至った。
※この「東都乗合自動車」の解説は、「国際興業バス」の解説の一部です。
「東都乗合自動車」を含む「国際興業バス」の記事については、「国際興業バス」の概要を参照ください。
- 東都乗合自動車のページへのリンク