事業の拡大と成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 03:37 UTC 版)
戦後の路線拡張は、他の民営各社と同様の道を歩むこととなる。すなわち、都営バスとの共同運行による都心乗り入れ路線に力が注がれた。1947年(昭和22年)には東京駅乗り入れ路線として、大山 - 東京駅降車口、志村橋 - 東京駅降車口が運行開始、続いて上板橋駅 - 東京駅降車口、川口駅 - 赤羽駅 - 東京駅降車口、川口駅 - 浅草 - 東京駅降車口などが相次いで運行を開始した。 また、同じく東急傘下を離脱した関東乗合自動車とは東都乗合自動車時代から交流を深め、1949年(昭和24年)に両社共同管轄の池袋駅 - 中野駅(現:池11)を立ち上げ、1970年代には環状七号線を経由する高円寺駅 - 野方駅 - 赤羽駅(現:赤31)を開設した。さらに東武鉄道・西武自動車のエリアに乗り入れる形で、草加駅・所沢駅方面などにも足を伸ばし、着実にエリアを拡大した。 旧大宮市では、終戦直後に法人化された太平バスを買収した。、また飯能市から旧名栗村にかけての地域を担当していた飯能交通(旧:名栗林材交通)も買収・合併し、1950年代までに現在の営業エリアがほぼ固まった。 路線網を拡張したことで営業所の新設も相次ぎ、1958年(昭和33年)には池袋営業所練馬分車庫と、埼玉県川口市青木町に川口営業所が開設された。練馬分車庫は1962年(昭和37年)に練馬営業所へ昇格、東京都北区稲付町(現・北区赤羽西)にあった旧・川口営業所は志村営業所赤羽出張所へ名称変更され、移転したのちに赤羽営業所へ昇格した。
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