事業の挫折と成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:59 UTC 版)
日本人の友人の勧めで切削油生産工場を設立し事業を開始。戦時中の連合国の爆撃で建設したばかりの工場は全焼したが、アルバイトで働く学生時代の重光の誠実な性格を信じて5~6万円という多額を出資した日本人投資家は、稼働前に工場が爆撃で灰になっても重光を最後まで信じた。2週間後に太平洋戦争が終結し朝鮮の同胞は次々に朝鮮半島に帰還したが重光は日本に留まり、八王子にある農家の納屋で鍋を借りてヒマシ油を使った石鹸の製造を開始。これが飛ぶように売れ、靴墨やポマードなどの生産を開始し、これもまた好評を博した。1946年5月に新工場『ひかり特殊化学研究所』を荻窪に立ち上げ、やはり石鹸やポマードの生産を開始。1年半後に日本人投資家に借金を全額返済し、感謝の気持ちで住宅1軒を贈った。 やがて進駐軍が持ち込んだチューインガムが人気を博しているのを見て、1947年にガム製造に乗り出す。ガム事業における仲間の裏切りを乗り越え、1948年6月にひかり特殊化学研究所を株式会社ロッテと改称、代表取締役社長に就任する。ゲーテの若きウェルテルの悩みを愛読していた辛が主人公シャルロッテより名前をとった。ロッテのガムは人気を博し、辛は実業家として成功を収めた。1954年、サッカーW杯予選出場のために来日する韓国代表チームの支援活動を始める。のちに1964年東京オリンピックの韓国選手団を支援した。
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