事業の拡大、観光地としての様々な運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/01 09:24 UTC 版)
「浜野増次郎」の記事における「事業の拡大、観光地としての様々な運動」の解説
法人化してからも旅館経営の事業拡大、そして洞爺湖温泉の観光地としての発展へ向ける情熱に益々、心身を注いだ。 1946年(昭和21年)北海道観光連盟の第一回総会が札幌で開催され洞爺湖温泉旅館組合長としてこの席に出席。この総会で翌年の第二回総会を洞爺湖温泉で引き受けるよう話が持ち込まれた。定山渓、登別温泉、阿寒などの先進観光地から見ると、比較的歴史の浅い洞爺湖温泉には知名度を上げるには確かに大きなチャンスであった。しかしさすがの増次郎もこの提案には、即答できなかった。これだけの大きな行事を引き受けるには相当な覚悟や準備が必要だった為、再三に渡り、辞退を申し入れたが度重なる説得に「洞爺湖温泉の発展」の為にと思い切って引き受ける事になった。「とにかく全町内で一丸となって引き受けるしかない。」そのまとめ役となり増次郎は奔走した。会場には「手入れが行き届き、設備が最も整っている」という理由から萬世閣が選ばれた。 そして総会の日、陸運局や交通公社の応援もあり無事、この大役を果たすことが出来た。地元業者はもちろんの事、旅館組合長、また初代洞爺湖温泉協会長としての重責を担っていた増次郎は胸を撫で下ろす思いだった。 またこの総会が洞爺湖で行われた事により道内はもちろん、本州からも大きな注目を集める結果となり増次郎、そして力を合わせた地元業者に自信を与え、復興への意欲を喚起する明るい材料となった。
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