事業の急拡大とは? わかりやすく解説

事業の急拡大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 15:13 UTC 版)

豊橋電気 (1894-1921)」の記事における「事業の急拡大」の解説

1907年見代発電所建設のための増資実施した際、日露戦争後不況期重なったため増資応募する地元資産家少なくやむを得ず豊橋以外の地域からも出資募ったその結果役員増え1908年7月福澤桃介東京)・武田賢治宝飯郡国府町)・徳倉六兵衛幡豆郡一色村)・荒川寅之丞(海西郡十四山村)の計4名が取締役追加された。増員取締役のうち福澤桃介新規参入者代表格であり、株式投資得た資金電気事業へと投資しつつあった中で創業者三浦碧水誘われ豊橋電気にも出資し当時筆頭株主地位あった。福澤3代社長伊東米作1909年就任)に代わって1910年明治43年4代社長に就任し1912年まで社長、それ以後専務取締役として三浦要請経営改革あたった。なお福澤は豊橋電気への参入後に名古屋電灯でも株式買収着手し、その筆頭株主となって1910年より取締役就任している。 1908年11月豊橋市の南に接す渥美郡高師村陸軍第15師団設置され次いで翌年4月騎兵第4旅団迎えた師団旅団所属する歩兵野砲兵・輜重兵工兵騎兵諸隊その他の駐屯により豊橋市軍都へと姿を変え同時に消費地としての性格強めた豊橋軍都化は電灯電力需要増加をさらに加速させる豊橋電気では1909年明治42年下地町火力発電所下地発電所出力150キロワット)を新設して急場をしのぎつつ、南設楽郡長篠村(現・新城市)にて寒狭川利用した長篠発電所新設する決定1910年12月27日傍系会社寒狭川電気株会社」を資本金50万円設立し同社通じて長篠発電所起工した。 翌1911年明治44年5月10日豊橋電気寒狭川電気合併し資本金倍額100万円とした。長篠発電所工事合併豊橋電気へと引き継がれ1912年明治45年2月出力500キロワット発電所として竣工至った長篠発電所完成に伴い同年5月料金改定実施し16燭灯月額75銭などと減額。さらに供給力余力生じたことから豊橋下地高師の3市町村越えた供給試み1911年10月から宝飯郡小坂井村牛久保町豊川町いずれも現・豊川市)にて、1912年4月からは渥美郡二川町(現・豊橋市)および南設楽郡新城町(現・新城市)にて供給開始1912年大正元年12月には宝飯郡国府町御油町赤坂町(現・豊川市方面でも開業した。これらの結果電灯数が急増し1910年下期1万灯を越えたのち、1912年下期には2万灯台到達した豊橋電気勢力県外にも拡大した豊橋の東、静岡県浜名郡新居町における「西遠電気株会社」の設立である。新居町白須賀町など浜名湖西部地域(現・湖西市)では地元有志によって1910年から電気事業準備進められていたが、予定していた火力発電よりも受電が有利との判断から豊橋電気交渉し電力供給福澤三浦同社関係者発起人加入得た1912年5月18日資本金6万円西遠電気発足豊橋電気から受電により1913年大正2年1月1日開業し新居町などへ供給開始した

※この「事業の急拡大」の解説は、「豊橋電気 (1894-1921)」の解説の一部です。
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