セゾングループ
セゾングループ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 17:08 UTC 版)
また西武百貨店を渋谷に進出させ成功を収めると、積極的な出店攻勢と「感性経営」といわれる優れた演出戦略が奏功した。清二の入社当時は二流・三流といわれた西武百貨店を、1980年代後半には当時百貨店売上高首位の三越を抜き、日本一の百貨店になるまで成長させた。 さらにデベロッパーである西洋環境開発を通じ、世界一のホテルチェーンであるインターコンチネンタルホテルズグループを買収し、ホテル経営やリゾート開発へも乗り出すなど、セゾングループを形成(これには、父のプリンスホテルを継いだ義明への対抗心もあったと言われている)。 また、ラコステブランドなどを取り扱う大沢商会や、牛丼の吉野家など倒産した企業をセゾングループに組み入れ、見事に再建させた。マスメディアも彼に注目し、財界の若きプリンスともてはやすようになる。 脱大衆文化と称して、DCブランドの展開や、無印良品、ファミリーマート、雑貨店のロフト、セゾンカード、FM放送のJ-WAVE、オーディオ・ビジュアル (AV) ソフト(CD・DVD等)の小売店チェーンWAVE、大型書店のリブロ、出版社のリブロポートなどの事業も展開した。 田中一光、山本耀司らとの交流の中から、無印良品のヒントを得たといわれる。糸井重里による「不思議、大好き。」「おいしい生活。」などのキャッチコピーは西武百貨店を80年代文化の担い手として印象付けた。 また、海外有名ブランドの導入を積極的に推進し、エルメス、ラルフ・ローレン、イブ・サンローラン、アルマーニ、ミッソーニなどを日本の百貨店で最初に導入したのは西武百貨店をはじめとするセゾングループである。さらに、セゾン美術館などメセナのさきがけといわれる活動も始める。 1983年、自伝的小説『いつもと同じ春』で平林たい子文学賞受賞。 1986年、西武鉄道取締役を辞任し、セゾングループの経営に専念する。 しかしバブル崩壊により、堤一族の名前を利用した金融機関からの借り入れに依存して、事業の急拡大を進めていたセゾングループの経営は破綻を迎え、1991年に堤は同グループ代表を辞任。2000年には西洋環境開発(同年清算)を含むグループの清算のため、保有株の処分益等100億円を出捐し、セゾングループは解体された。
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