江川事件
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江川事件(えがわじけん)は、1978年のドラフト会議前日にプロ野球セ・リーグの読売ジャイアンツとの電撃的な入団契約を結んだ投手・江川卓の去就をめぐる一連の騒動。江川問題(えがわもんだい)、江川騒動(えがわそうどう)、空白の一日(くうはくのいちにち)とも呼ばれる。
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- ^ 日刊スポーツ1977年11月20日1面「絶対圧力には屈せぬ 金子コミッショナー見解」
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- ^ 日刊スポーツ1977年12月14日3面「にっかん社会部 逆転満塁だ粘る中村オーナー 江川盗り ヒジ鉄食っても闘志盛ん」
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- ^ a b 日刊スポーツ1978年11月22日1面「巨人、重大決意 球界へ挑戦状 狙いはドラフト撤廃」
- ^ 日刊スポーツ1978年11月22日1面「球界へ挑戦状、狙いはドラフト撤廃 巨人、重大決意」
- ^ 毎日新聞1978年11月22日夕刊1面「巨人は江川登録却下に異議」毎日新聞縮刷版1978年11月p667
- ^ 毎日新聞1978年11月22日夕刊1面「緊迫 巨人抜きドラフト 江川 阪神が交渉権 まず四球団が希望、抽選で」毎日新聞縮刷版1978年11月p667
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- ^ 【「鬼筆」越後屋のトラ漫遊記】知らなかった「オズの魔法使い」…語られなかった「江川騒動」の闇(1/6ページ) - 産経ニュース
- ^ 田所龍一 (2023年4月26日). “【小林繁伝】急転トレード成立へ…阪神球団社長への一本の電話”. 産経新聞. 2023年5月1日閲覧。
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- ^ 毎日新聞1979年2月1日23面「『密約』ちらり 小津社長、長谷川代表会見」毎日新聞縮刷版1979年2月p23
- ^ 毎日新聞1979年2月1日23面「まかり通った江川無法劇 さわやか小林『阪神で力いっぱい』 ダンディ―男 去り際も格好良く」毎日新聞縮刷版1979年2月p23
- ^ 朝日新聞1979年2月1日夕刊11面「『小林さんに感謝します』江川が会見」朝日新聞縮刷版1979年2月p35
- ^ 田所龍一 (2023年5月17日). “【小林繁伝】コミッショナー辞任へ「もとはボクのまいたタネ」”. 産経新聞. 2023年5月28日閲覧。
- ^ 朝日新聞1979年2月11日17面「戒告と制裁金十万円 巨人の長谷川代表処分 セ・リーグ 小津社長(阪神)は『注意』」朝日新聞縮刷版1979年2月p369
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- ^ a b c d “【8月16日】1980年(昭55) 電撃トレードから564日、江川卓vs小林繁 雨中の決着”. スポーツニッポン (2007年8月11日). 2012年12月29日閲覧。
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- ^ 朝日新聞、2011年11月12日付
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- ^ “セゾングループ創業者・堤清二氏が死去”. 日本テレビ放送網(2013年11月28日作成). 2019年5月5日閲覧。
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- ^ 新人選手選択会議規約 日本プロ野球選手会
- ^ 野球協約・新人選手選択会議規約第3条第1項
江川事件
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「江川事件」も参照 1978年11月20日、巨人は「入団交渉期間はドラフト会議当日から翌年のドラフト会議前々日(2日前)まで」とする野球協約の盲点を突く形で、前年のドラフト会議でクラウンライター・ライオンズから1位指名を受けた江川卓とドラフト会議前日にあたるこの日に入団契約を取り交わした(江川事件)。 しかし、江川と巨人との入団契約をセ・リーグ会長の鈴木龍二は認めず、これに反発した巨人はドラフト会議をボイコットする。ドラフト会議では阪神タイガースが江川との交渉権を獲得したが、巨人は「全球団が出席しないドラフト会議は無効」と主張し、江川の地位保全を求める仮処分申請を東京地方裁判所に対し行うと同時に日本野球機構を脱退し新リーグ設立を画策した。 12月21日、日本野球機構コミッショナーの金子鋭は「ドラフト会議は有効」とする見解を示し、「タイガースが江川に対する交渉権を有する」とする裁定を下したが、翌日になって「江川には一度阪神と入団契約を交わし、その後すぐに巨人にトレードさせる形での解決を望む」という「強い要望」を表明した。一連の経緯に世間は反発すると同時に、江川のトレードの相手がどの選手になるかに関心が集まった。トレード期限は1979年1月31日に設定され、新浦寿夫、高田繁、淡口憲治、西本聖らと共に小林の名も取り上げられた。なお、当初は江川と巨人の間では金銭トレードで話を進める取り決めになっていた。 巨人のキャンプは2月1日に始まる予定であった。その前日である1月31日午前、小林はキャンプ地である宮崎へ飛行機で移動するため、都内のホテルから羽田空港に到着してチームメイトに合流しようとしたが、そこへ球団事務所庶務部長と球団職員によって呼び止められ、そのまま社旗を付けたハイヤーに乗せられてホテルニューオータニへと連行された。ハイヤーを目にした時、小林は「え?オレか?これが現実なのか?」と動揺し、「そうか、トレードは本当にあったんだ。俺だったのか」と気付いたという。それまで小林には「まさかジャイアンツがそんなことはしないだろう。それをやっちゃあジャイアンツも終わりだよ」という思いがあった。ホテルの一室には球団社長の長谷川実雄がおり、「君が了承してくれないとジャイアンツはセ・リーグを出ていかなくちゃいけないんだ」「何とか事情を汲み取ってもらいたい」と述べた。小林によると長谷川の口調は事務的で、決定事項の伝達のように感じられたという。球団は30日に小林をトレード要員とすることを決め、小林の自宅へ電話をかけて連絡をとろうとしたが小林はホテルへ、家族も神戸へ移動していたため連絡がつかず、空港で小林を待ち受けることになった。 小林は数時間かけて考えた末、トレードに同意し、2月1日午前0時に都内の球団事務所で記者会見を開いた。スポーツライターの近藤隆夫は、なし崩し的に阪神に入団させられることを警戒していた江川が午後4時20分に阪神との間で入団契約を結んでいることから、この時間帯には小林が移籍に同意していたのだろうと推測している。記者会見で小林は、阪神への移籍に同意した旨を発表して「犠牲になったという気持ちはありません。僕自身、今でも巨人が好きです。江川君は話がうまくいったんだから、これから大変だと思うけれど、巨人の一員として頑張ってもらいたい」と語るなど毅然と振る舞った。しかしそれは「冷静にふるまっている自分を見せようとしていた」に過ぎず、内心では「もう早く解放してくれ」と思っていたという。トレードに伴い、第三者の働きかけで 功労金3000万円支払い 引退時に日本テレビと巨人軍が就職斡旋 などの「覚書」が結ばれたが、文書は球団が作成・保管して小林は一度も見たことはなかったとしている。また、実際に履行されたのは功労金の支払いだけで、中畑清の引退時に日本テレビ解説者就任を小林が要望した際に、球団オーナーの正力亨から「あの件はもういいね?」と言われ、小林は承諾した。これについて小林は「僕は将来の身分保証を平気で返しちゃうような人間だから、お金で動いたわけではないんです」と述べている。 会見後、小林はチームメイトに挨拶して荷物を取りに行くために宮崎へ行こうとしたが、「君が行けばまた騒ぎになるし、選手たちも精神的動揺をきたすかもしれない」と球団から止められた。 なお、2月8日に開かれたプロ野球実行委員会で巨人の行動は他球団から強く非難され、前年12月22日の金子による「強い要望」と小林 - 江川のトレードは白紙撤回され、 小林は改めて阪神へトレードする 江川の巨人への移籍は開幕日まで認めない 巨人は6月まで江川の選手登録を自粛する といったことが決定された。また、金子はコミッショナーを辞任した。 これをもって江川事件は一応の終結を迎えたとされるが、小林の中で終結したのは、1987年に江川が現役引退を発表した日にオーナーの正力亨から電話で「江川が今日で辞めたよ。君にだけは報告しておく。キミには苦労をかけてしまった」と謝罪を受けた時だったという。小林はこの事実をテレビ番組の中で公表した。
※この「江川事件」の解説は、「小林繁」の解説の一部です。
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