江川事件とは? わかりやすく解説

江川事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 05:31 UTC 版)

江川事件(えがわじけん)は、1978年のドラフト会議前日にプロ野球セ・リーグ読売ジャイアンツとの電撃的な入団契約を結んだ投手・江川卓の去就をめぐる一連の騒動。江川問題(えがわもんだい)、江川騒動(えがわそうどう)、空白の一日(くうはくのいちにち)とも呼ばれる。


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  32. ^ 日刊スポーツ1978年11月22日3面「巨人"衝撃の反旗" 深夜の密議・・・電光石火の入団発表 ドキュメント11・21」
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  39. ^ 毎日新聞1978年11月22日夕刊1面「緊迫 巨人抜きドラフト 江川 阪神が交渉権 まず四球団が希望、抽選で」毎日新聞縮刷版1978年11月p667
  40. ^ 江川 1988, p. 87.
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  44. ^ 【「鬼筆」越後屋のトラ漫遊記】知らなかった「オズの魔法使い」…語られなかった「江川騒動」の闇(1/6ページ) - 産経ニュース
  45. ^ 田所龍一 (2023年4月26日). “【小林繁伝】急転トレード成立へ…阪神球団社長への一本の電話”. 産経新聞. 2023年5月1日閲覧。
  46. ^ 日本経済新聞1979年2月1日21面「『巨人の江川』電撃誕生 阪神入団後、小林と交換 コミッショナー要望通る」日本経済新聞縮刷版1979年2月p21
  47. ^ 毎日新聞1979年2月1日23面「『密約』ちらり 小津社長、長谷川代表会見」毎日新聞縮刷版1979年2月p23
  48. ^ 毎日新聞1979年2月1日23面「まかり通った江川無法劇 さわやか小林『阪神で力いっぱい』 ダンディ―男 去り際も格好良く」毎日新聞縮刷版1979年2月p23
  49. ^ 朝日新聞1979年2月1日夕刊11面「『小林さんに感謝します』江川が会見」朝日新聞縮刷版1979年2月p35
  50. ^ 田所龍一 (2023年5月17日). “【小林繁伝】コミッショナー辞任へ「もとはボクのまいたタネ」”. 産経新聞. 2023年5月28日閲覧。
  51. ^ 朝日新聞1979年2月11日17面「戒告と制裁金十万円 巨人の長谷川代表処分 セ・リーグ 小津社長(阪神)は『注意』」朝日新聞縮刷版1979年2月p369
  52. ^ a b 『巨人軍の最高機(第2部)』(リム出版新社)
  53. ^ a b c d 【8月16日】1980年(昭55) 電撃トレードから564日、江川卓vs小林繁 雨中の決着”. スポーツニッポン (2007年8月11日). 2012年12月29日閲覧。
  54. ^ 江川 1988, pp. 127–128.
  55. ^ a b c 本宮ひろ志、江川卓『実録たかされ 第2巻』文藝春秋、1998年9月、165-167頁。ISBN 978-4160900349 
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  57. ^ 朝日新聞、2011年11月12日付
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  59. ^ 朝日新聞(東京版)、1979年5月19日朝刊、テレビ欄。テレ玉では別途18:30から録画中継を実施(解説:東京中日スポーツ記者 堀江康亘)
  60. ^ セゾングループ創業者・堤清二氏が死去”. 日本テレビ放送網(2013年11月28日作成). 2019年5月5日閲覧。
  61. ^ 役員の異動等に関するお知らせ”. 日本テレビホールディングス株式会社(2013年5月9日作成). 2019年5月6日閲覧。
  62. ^ a b c d e 坂井保之『深層「空白の一日』ベースボールマガジン社〈ベースボール・マガジン社新書 012〉、2008年7月。ISBN 978-4583100876 
  63. ^ a b c バスジャパン ハンドブックシリーズ R51 西武バス』BJエディターズ / 星雲社、2004年1月1日。ISBN 4-434-04071-5 
  64. ^ 『バスジャパン ハンドブックシリーズ S83 西武バス』BJエディターズ / 星雲社、2014年2月1日。ISBN 978-4-434-18845-9 
  65. ^ 落合博満『なんと言われようとオレ流さ』講談社、1986年4月。ISBN 978-4062026291 
  66. ^ 新人選手選択会議規約 日本プロ野球選手会
  67. ^ 野球協約・新人選手選択会議規約第3条第1項



江川事件

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小林繁」の記事における「江川事件」の解説

「江川事件」も参照 1978年11月20日巨人は「入団交渉期間はドラフト会議当日から翌年ドラフト会議前々日2日前)まで」とする野球協約盲点を突く形で、前年ドラフト会議クラウンライター・ライオンズから1位指名受けた江川卓ドラフト会議前日にあたるこの日に入団契約取り交わした(江川事件)。 しかし、江川巨人との入団契約セ・リーグ会長鈴木龍二認めず、これに反発した巨人ドラフト会議ボイコットするドラフト会議では阪神タイガース江川との交渉獲得したが、巨人は「全球団が出席しないドラフト会議無効」と主張し江川地位保全求め仮処分申請東京地方裁判所対し行うと同時に日本野球機構脱退しリーグ設立画策した。 12月21日日本野球機構コミッショナー金子鋭は「ドラフト会議は有効」とする見解示し、「タイガース江川対す交渉有する」とする裁定下したが、翌日になって江川には一度阪神入団契約交わしその後すぐに巨人トレードさせる形での解決を望む」という「強い要望」を表明した一連の経緯世間反発する同時に江川トレード相手がどの選手になるかに関心集まったトレード期限1979年1月31日設定され新浦寿夫高田繁淡口憲治西本聖と共に小林の名も取り上げられた。なお、当初江川巨人の間では金銭トレードで話を進め取り決めになっていた。 巨人キャンプ2月1日に始まる予定であったその前日である1月31日午前小林キャンプ地である宮崎飛行機移動するため、都内ホテルから羽田空港到着してチームメイト合流しようとしたが、そこへ球団事務所庶務部長球団職員によって呼び止められそのまま社旗付けたハイヤー乗せられホテルニューオータニへと連行された。ハイヤーを目にした時、小林は「え?オレか?これが現実なのか?」と動揺し、「そうか、トレード本当にあったんだ。俺だったのか」と気付いたという。それまで小林には「まさかジャイアンツがそんなことはしないだろう。それをやっちゃジャイアンツ終わりだよ」という思いがあった。ホテル一室には球団社長長谷川実雄がおり、「君が了承してくれないジャイアンツセ・リーグ出ていかなくちゃいけないんだ」「何とか事情汲み取ってもらいたい」と述べた小林によると長谷川口調事務的で、決定事項伝達のように感じられたという。球団30日小林トレード要員とすることを決め小林自宅電話をかけて連絡をとろうとしたが小林ホテルへ、家族神戸移動していたため連絡がつかず、空港小林待ち受けることになった小林数時間かけて考えた末、トレード同意し2月1日午前0時都内球団事務所記者会見開いたスポーツライター近藤隆夫は、なし崩し的阪神入団させられることを警戒していた江川午後4時20分に阪神との間で入団契約結んでいることから、この時間帯には小林移籍同意していたのだろうと推測している。記者会見小林は、阪神への移籍同意した旨を発表して犠牲になったという気持ちはありません。僕自身今でも巨人好きです江川君は話がうまくいたんだから、これから大変だと思うけれど、巨人一員として頑張ってもらいたい」と語るなど毅然と振る舞った。しかしそれは「冷静にふるまっている自分見せようとしていた」に過ぎず内心では「もう早解放してくれ」と思っていたという。トレードに伴い第三者働きかけ功労3000万円支払い 引退時に日本テレビ巨人軍就職斡旋 などの「覚書」が結ばれたが、文書球団作成保管して小林一度見たことはなかったとしている。また、実際に履行されたのは功労金の支払いだけで、中畑清引退時に日本テレビ解説者就任小林要望した際に、球団オーナー正力亨から「あの件はもういいね?」と言われ小林承諾した。これについて小林は「僕は将来身分保証を平気で返しちゃうような人間だから、お金動いたわけではないんです」と述べている。 会見後小林チームメイト挨拶して荷物取りに行くために宮崎行こうとしたが、「君が行けばまた騒ぎになるし、選手たち精神的動揺をきたすかもしれない」と球団から止められた。 なお、2月8日開かれたプロ野球実行委員会巨人行動他球団から強く非難され前年12月22日金子による「強い要望」と小林 - 江川トレード白紙撤回され、 小林改め阪神トレードする 江川巨人への移籍開幕日まで認めない 巨人6月まで江川選手登録自粛する といったことが決定された。また、金子コミッショナー辞任したこれをもって江川事件は一応の終結迎えたとされるが、小林の中で終結したのは、1987年江川現役引退発表した日にオーナー正力亨から電話で「江川今日辞めたよ。君にだけは報告しておく。キミには苦労をかけてしまった」と謝罪受けた時だったという。小林はこの事実テレビ番組の中で公表した

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