コミッショナーの強い要望
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:57 UTC 版)
「江川事件」の記事における「コミッショナーの強い要望」の解説
金子は12月21日、「ドラフト会議欠席は巨人側が勝手に行ったこと」としてドラフト会議の結果はそのまま有効とし、その上で「江川と巨人による入団契約は認めない」ことと「阪神の江川に対する交渉権獲得を認める」ことを裁定を発表した。 しかし金子は、翌12月22日のプロ野球実行委員会において「江川には一度阪神と入団契約を交わしてもらい、その後すぐに巨人にトレードさせる形での解決を望む」という「強い要望」を提示した。これは、江川獲得の正当性やセ・リーグ脱退を主張する巨人に対する批判が強まり、今後のプロ野球運営に支障をきたす可能性が出たため、江川獲得という巨人の目的を達成させることにより、問題の解決を図ろうとするものだった。野球協約では新人選手の公式戦開幕前の移籍は禁止されていたが、金子はそれを承知の上でトレードによる解決を提案した。なお、この規定は荒川尭のプロ入りをめぐるトラブル(荒川事件)を教訓に野球協約が改正されたもので、改正当初は初年度の移籍が禁止されていたが、この年から「公式戦開幕前」に緩和された。この改正は江川事件の発生する前に決定しており、江川事件とは関係なく偶然のタイミングであった。 この「強い要望」を公表したとき、金子は「各球団の実行委員もほぼ同意してくれた」と語っているが、阪神はこれに強く反発し、球団社長の小津正次郎も「王貞治を用意したとしてもトレードには出さない」と繰り返し発言していた。一方、巨人は前記のコミッショナー裁定を受け、12月27日に「空白の一日」による江川との契約を解除した。これにより阪神が正式に江川との交渉を開始することになった。 翌1979年1月より、阪神は江川と入団交渉を行ったが、獲得を希望する阪神に対し、江川はトレードの確約を主張するなど交渉はまとまらなかった。
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