コミッショナーの死去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:19 UTC 版)
「1944年のメジャーリーグベースボール」の記事における「コミッショナーの死去」の解説
MLBコミッショナーのケネソー・マウンテン・ランディス判事が、この年のシーズン終了後11月25日に死去した。任期7年のコミッショナーに再び選出されたばかりで肺炎が死因とされている。享年78歳。1920年にブラックソックス事件に揺れていたメジャーリーグに三顧の礼で迎えられてから24年の歳月が流れていた。深刻な問題であった事件を処理して、八百長が横行していたメジャーリーグを浄化し、イメージダウンにならなかったのはランディスの功績とされている。ブラックソックス事件以後も疑惑のあった選手を次々に処分し合計15人が永久追放となった。晩年にはフィリーズの会長まで放遂されて、その峻厳さは際立っていた。しかし処分が必ずしも公平であったかどうかは議論のあるところであった。またブランチ・リッキーのファーム・システムの推進を目の敵にして、カージナルスのマイナー球団の選手をフリーにしたこともあり、黒人選手の起用には反対して、ニグロリーグとのエキシビションゲームの開催すら許可せず、人種差別主義者と目されている。彼の死後にブランチ・リッキーは黒人選手ジャッキー・ロビンソンを起用してメジャー入りさせている。しかしこうしたマイナス材料はあっても、ランディスのおかげで球界は根が深かったギャンブルと縁を切り、強固な意思で腐敗の根絶に取り組んだことは今日でも高く評価されている。 両リーグのMVP(最優秀選手賞)に贈られる記念の盾には、この賞の正式名称「ケネソー・マウンテン・ランディス・メモリアル・アウォード」が刻まれて彼の功績を称えている。
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