コミッショナーの交代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:05 UTC 版)
「1965年のメジャーリーグベースボール」の記事における「コミッショナーの交代」の解説
第3代コミッショナーのフォード・フリックが1965年9月21日で第2期の任期満了をもって退任した。前年8月にその意向を表明していたので、この年3月の両リーグ合同会議で後継者の選定作業を開始し、156人の候補者(このリストにはリチャード・ニクソンも入っていた)の中から、11月17日に退役軍人で元空軍中将ウィリアム・エッカートを第4代コミッショナーに選出した。エッカートは野球とは全く縁がなくまた野球界の事情にも疎い人物であった。選出の理由はオーナーたちが御しやすいと考えていたことであった。しかしエッカートの選手側と経営側との間で公正な立場で良心的な姿勢を保とうとすることがオーナー側の不興を買い、3年後の1968年11月に任期途中で突如解任された。 この1968年には選手の年金問題と審判の不当解雇問題が絡んで選手側と審判側が経営者側と鋭く対立する状況となっていた最中の出来事で、初めて選手側が1969年のスプリングキャンプをボイコットしてストライキの姿勢を見せて労使間で対立を深めていた時期であった。エッカートの後任は辣腕の弁護士ボウイ・キューンがなり、1966年に選手協会事務局長になったマービン・ミラーとでメジャーリーグは労使対立が長く続く時代に入る。
※この「コミッショナーの交代」の解説は、「1965年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「コミッショナーの交代」を含む「1965年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1965年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。
- コミッショナーの交代のページへのリンク