ボウイ・キューンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ボウイ・キューンの意味・解説 

ボウイ・キューン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/19 08:39 UTC 版)

ボウイ・キューン (1982年)

ボウイ・ケント・キューン(Bowie Kent Kuhn、1926年10月28日 - 2007年3月15日)は、アメリカ合衆国弁護士で、MLBの第5代コミッショナー(在任1969年2月4日 - 1984年9月30日)。

メリーランド州タコマパークに生まれ、ワシントンD.C.で育った。

人物

オーナー、選手会、ファンなどとことごとく対立するけんか腰の強い人物であった。自己中心的なオーナーには資格停止、あるいは罰金を科した。選手会とはフリーエージェント制導入をめぐり激しく対立。選手会委員長のマービン・ミラーはキューンを「宿敵」と呼び、キューンはミラーを「鶏小屋を荒らす狐」と非難した。また、コーチだったウィリー・メイズミッキー・マントルのカジノとの兼業を認めず、この2人は球界を離れた。そのため、ファンはキューンが球界から追放したと非難した。この2人を賭博に関与したとして資格停止処分にしたこともある[1]

1971年に慈善活動に貢献した選手を表彰する「コミッショナー賞(Commissioner's Award)」を創設した。しかし1972年末、ロベルト・クレメンテが慈善活動中に事故死したことを受けて、翌1973年からクレメンテの名前を冠したロベルト・クレメンテ賞に改称して現在に至る。

また、在任中に起こったカート・フラッド事件では、カート・フラッドが願い出たフリーエージェント(FA)を認める申請を拒絶。フラッドの提訴によって法廷に持ち込まれ、最高裁まで争われることとなった。これを契機に1975年に年俸調停制度とトレード拒否権、1976年にはフリーエージェント制度が成立することとなった。

1977年9月3日に王貞治が通算本塁打数世界記録を更新したときキューンは「世界記録であることは認めるが、大リーグ記録ではない」との声明を発表している。球団数拡張、ワールドシリーズナイター開催、アメリカン・リーグでの指名代打制の導入、ディビジョン制の導入などの功績も残している。1969年のMLB選手平均年俸は約1万9,000ドルだったが、1984年には約33万ドルにまで上昇した。

2008年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入りを果たした。2007年3月15日、肺炎による呼吸不全のためフロリダ州ポンテベドラビーチの病院で死去。

著作

  • コミッショナーは戦う(ベースボール・マガジン社、原題:Hardball) ISBN 978-4583028187

関連書籍

  • FAへの死闘―大リーガーたちの権利獲得闘争記(ベースボールマガジン社、マービン・ミラー著、原題:A Whole Different Ball Game) ISBN 978-4583030944

脚注

  1. ^ 後年、キューンの次のコミッショナーのピーター・ユベロスがその処分を解除した。

関連項目

外部リンク


ボウイ・キューン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 07:38 UTC 版)

MLBコミッショナー」の記事における「ボウイ・キューン」の解説

ボウイ・キューンはフリーエージェントFA)の導入には否定的であり、選手会会長マービン・ミラーとは激しく対立した1969年オフカート・フラッド認めるように願い出たFA申請拒絶選手の自由移籍禁止する保留条項独占禁止法違反だと主張したフラッド提訴によってフラッド対キューン裁判最高裁まで争われることになった激化した労使対立1981年発生した50日間に及ぶストライキピーク達した賭博行為への関与拳銃不法所持発覚したデトロイト・タイガースエースデニー・マクレイン1970年に(のちに開幕から3カ月出場停止変更)、カジノ顧客担当として働いていたウィリー・メイズミッキー・マントル1983年それぞれ永久追放処分にしている。 オーナー寄りコミッショナー見られていたが、オークランド・アスレチックスチャーリー・O・フィンリーオーナーとは対立したフィンリー1973年のワールドシリーズ失策連発しマイク・アンドリュース強制的に診断書を書かせて故障者リストDL入りさせたが、キューンはこれを撤回するように命じている。また、1976年ボストン・レッドソックスニューヨーク・ヤンキース350ドルで数選手売却しようとした時には試合悪影響与えるという理由契約阻止した

※この「ボウイ・キューン」の解説は、「MLBコミッショナー」の解説の一部です。
「ボウイ・キューン」を含む「MLBコミッショナー」の記事については、「MLBコミッショナー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ボウイ・キューン」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ボウイ・キューン」の関連用語

ボウイ・キューンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ボウイ・キューンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのボウイ・キューン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのMLBコミッショナー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS