栄光からの転落・そして引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/29 07:57 UTC 版)
「デニー・マクレイン」の記事における「栄光からの転落・そして引退」の解説
1970年2月に賭博行為への関与と拳銃の不法所持が発覚。当時のMLBコミッショナーであったボウイ・キューンにより開幕から3カ月の出場停止処分を受けた。また1日にコーラを25本も飲み、オフも毎日ボウリングやテレビ出演に明け暮れた不摂生が祟って球速が低下し、3勝5敗・防御率4.63と成績が急降下。10月9日に4選手との交換トレードで、他3選手と共にワシントン・セネターズに移籍。 1971年は4月に2完封をマークするなどまずまずのスタートを切ったが、5月から9連敗を喫するなど前半戦だけで15敗。10勝を挙げたもののリーグワーストの22敗・防御率4.28と不本意な成績に終わる。監督のテッド・ウィリアムズとも口論が絶えなかった。1972年3月4日に2選手との交換トレードでアスレティックスに移籍。しかし1勝2敗・防御率6.04と結果を残せずマイナー降格。6月29日にオーランド・セペダとの交換トレードでアトランタ・ブレーブスに移籍するが3勝に留まり、シーズン通算で4勝7敗・防御率6.37。1973年3月26日に解雇され、その後ミルウォーキー・ブルワーズ、古巣ホワイトソックスと契約するが、メジャー昇格はならず現役引退。
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