栄光から一転衰退へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/28 03:49 UTC 版)
「新日鉄住金八幡ラグビー部」の記事における「栄光から一転衰退へ」の解説
その後、第3回日本選手権で早稲田大学と対戦。一進一退の攻防が続き、ノーサイド寸前まで9-9の同点だったが、早稲田のフルバック(FB)・山本巌にペナルティゴールを決められ、土壇場で日本一の座を逸した。その後、宿敵の近鉄が、坂田好弘、石塚広治らを擁し、2年連続で全国社会人大会と日本選手権を制覇。一方、当チームは全国社会人大会では、決勝にすら駒を進められないでいた。 1968年度の全国社会人大会準決勝で、当チームは3連覇がかかる近鉄と対戦。しかしこれまでとは違って、下馬評は断然近鉄が優勢であった。ところが、執拗にタテ攻撃を展開した効果が出て、18-9でこれを撃破。翌日のスポーツ紙はこぞって、『古豪八幡、どん底からの再起』という見出しをつけたという。しかし当チームの踏ん張りもここまで。決勝ではトヨタ自工に14-19で敗れた。またここで事実上、八幡製鐵ラグビー部・栄光への道のりは幕を閉じた。
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