ボウイとの出会い、ロー・パワー、終焉(1971年 - 1974年)
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「ザ・ストゥージズ」の記事における「ボウイとの出会い、ロー・パワー、終焉(1971年 - 1974年)」の解説
1971年、イギーはデヴィッド・ボウイに出会い、ボウイの協力の下でアルバムの制作を開始する。当初はギタリストのジェームズ・ウィリアムソン(James Williamson)に新たなリズム隊を加えた編成となる予定だったが、結局アシュトン兄弟を呼び寄せることとなった。ギターはジェームズが弾くことになったため、ロンはベースに転向した。 1973年、『ロー・パワー』(旧邦題は『淫力魔人』)を「イギー・アンド・ザ・ストゥージズ」の名義でコロムビア・レコードから発表。ボウイがミキシングを担当した。しかし、全米182位に留まり、ツアーの途中でコロンビアはレコード契約を解除。ボウイの所属するメインマン・マネージメントからも見放された。 翌1974年2月、イギーのヘロイン中毒、活動の行き詰まりなどが原因でストゥージズは解散した。
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