ザ・ストゥージズとは? わかりやすく解説

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ザ・ストゥージズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/30 14:21 UTC 版)

ザ・ストゥージズ
ポーランド・カトヴィツェ公演(2012年8月)
基本情報
別名
  • サイケデリック・ストゥージズ
  • イギー&ザ・ストゥージズ
出身地 アメリカ合衆国 ミシガン州アナーバー
ジャンル
活動期間
レーベル
公式サイト Iggy and the Stooges - The Official Iggy and the Stooges Site
メンバー
旧メンバー

ストゥージズ[注 1]The Stooges)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド

1960年代末のガレージロックを代表するグループの一つ。フロントマン イギー・ポップの過激なパフォーマンスが特徴で、後のパンク/ニュー・ウェイヴに大きな影響を与えた。

2010年ロックの殿堂』入り。ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」第78位。

来歴

デビューからセカンド・アルバムまで(1967年 - 1970年)

1967年、ボーカルのイギー・ポップ(Iggy Pop)、ギタリストのロン・アシュトン(Ron Asheton)およびドラマーのスコット・アシュトン(Scott Asheton、ロン・アシュトンの弟)のアシュトン兄弟、そしてベーシストのデイヴ・アレクサンダー(Dave Alexander)によって結成される。初期はサイケデリック・ストゥージズとして活動していたが[6]、後にザ・ストゥージズに名乗りを変える。"stooge"とは、「ぼけ役」、「まぬけ」といった意味。

1969年、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドジョン・ケイルのプロデュースにより、デビュー・アルバム『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』を発表。全米最高106位と商業的には成功しなかったが、同じエレクトラ・レコードに所属するMC5と並んでガレージ・ロック(オリジナル・パンク)の代表的存在と目される。

フロントマンのイギーは、客の注目を惹くためステージダイブをしたり[7]ピーナッツバターを体中に塗ったり、ステージに散りばめたガラスの破片の上を転がったりするなど[8]、身体を張ったパフォーマンスを展開した。

1970年には、セカンド・アルバム『ファン・ハウス』を発表。同作では新たにサックスを加え、スティーヴ・マッケイ(Steve MacKay)が参加している。ところが、売上は前作より伸び悩み、チャートインすら果たせず、エレクトラとの契約も打ち切られる。さらに、アルコール中毒になっていたデイヴが解雇され、ベーシストはジーク・ゼトナー(Zeke Zettner)、ジミー・レッカ(Jimmy Recca)と目まぐるしく入れ替わった。また、イギーを筆頭にロンを除くメンバーはヘロインに溺れ、活動休止状態に陥ってしまう。

ボウイとの出会い、ロー・パワー、終焉(1971年 - 1974年)

創設者イギー・ポップ(Vo)1973年

1971年、イギーはデヴィッド・ボウイに出会い、ボウイの協力の下でアルバムの制作を開始する。当初はギタリストのジェームズ・ウィリアムソン(James Williamson)に新たなリズム隊を加えた編成となる予定だったが、結局アシュトン兄弟を呼び寄せることとなった。ギターはジェームズが弾くことになったため、ロンはベースに転向した[9]

1973年、『ロー・パワー』(旧邦題は『淫力魔人』)を「イギー・アンド・ザ・ストゥージズ」の名義でコロムビア・レコードから発表。ボウイがミキシングを担当した。しかし、全米182位に留まり、ツアーの途中でコロンビアはレコード契約を解除。ボウイの所属するメインマン・マネージメントからも見放された。

1974年2月、イギーのヘロイン中毒、活動の行き詰まりなどが原因でストゥージズは解散した。

解散後の動向

解散中の1975年、イギーはジェームズとともにレコーディングを行い、1977年に共同名義のイギー・ポップ&ジェームズ・ウィリアムソンとしてアルバム『キル・シティ』を発表[10]。また、ロン・アシュトンは、3代目ベーシストのジミー・レッカ、元MC5のドラマーであるデニス・トンプソンらとザ・ニュー・オーダーを結成し、アルバムを発表した[11]

1977年、イギーは再びボウイと組んでソロ・デビュー。バンドでは得られなかった商業的成功を手にする。

1997年、イギーがミックスをやり直した『ロー・パワー』を新たにリリースした。これはボウイによるミックスに対する不満の声に応えたもので、イギー自身が「どの曲も音が全部振り切れるくらいボリュームを上げて、すごく激しいミックスになった」と語る仕上がりになっている[12]

再結成 - メンバーの死去 - 活動停止(2003年 - 2016年)

USAシカゴ公演(2007年)

2003年、イギーとロン、スコットの3人に、元ミニットメンのマイク・ワットをベーシストとして加え、29年ぶりに再結成。後に、スティーヴも参加。

2007年、34年ぶりのアルバム『ザ・ウィヤードネス』を発表。

2009年1月6日、ロン・アシュトンが死去(数日前に心臓発作で斃れたものと推定された)[13]

2010年、『ロックの殿堂』入りを果たす。授賞式でのプレゼンターはグリーン・デイビリー・ジョー・アームストロングが務めた。

2011年、スコットが脳卒中で倒れ離脱、代わりにイギーのソロ作品に共演経験のあるトビー・ダミットが参加。

2013年4月、6年ぶりの新作『レディ・トゥ・ダイ』を発表。亡くなったロンに代わり、ジェームズ・ウィリアムソンが約40年ぶりに復帰[14]

2014年3月16日、スコット・アシュトンが死去[15]

2015年10月11日、スティーヴ・マッケイが死去[16]

2016年にジェームズは、もはやバンドは機能していないことを明かし、解散宣言のない事実上の活動停止を公表。イギー自身はソロ活動にシフト。

2017年、ストゥージズのドキュメンタリー映画『ギミー・デンジャー』が公開[17]

メンバー

最終ラインナップ

旧メンバー

  • ロン・アシュトン(Ron Asheton) - リードギター(1967年 - 1971年、2003年 - 2009年)、ベース(1972年 - 1974年)※2009年死去
  • スコット・アシュトン(Scott Asheton) - ドラムス(1967年 - 1974年、2003年 - 2011年)※2014年死去
  • デイヴ・アレクサンダー(Dave Alexander) - ベース(1967年 - 1970年)※1975年死去
  • ビリー・チータム(Bill Cheatham) - ギター(1970年)※1990年代死去
  • ジーク・ゼトナー(Zeke Zettner) - ベース(1970年)※1973年死去
  • スティーヴ・マッケイ(Steve Mackay) - サックス(1970年、2003年 - 2015年)※2015年死去
  • ジミー・レッカ(Jimmy Recca) - ベース(1971年)
  • ワーレン・クレイン(Tornado Turner) – ギター(1973年)
  • ボブ・シェフ(Bob Sheff) – キーボード(1973年)
  • スコット・サーストン(Scott Thurston) – キーボード(1973年 - 1974年)

影響

「ローリング・ストーン誌の選ぶオールタイム・ベスト・アルバム500」において、『ファン・ハウス』が191位[18]、『ロー・パワー』が128位[19]にランクイン。特に『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』は、「オールタイム・ベスト・デビュー・アルバム100」と共に、それぞれ185位[20]と66位[21]にランクイン。

セックス・ピストルズダムドピート・ドハーティスレイヤーデフ・レパードソニック・ユースガンズ・アンド・ローゼズレッド・ホット・チリ・ペッパーズサウンドガーデンレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなど、後世の名立たるバンドやミュージシャンに影響を与え、彼らにこぞってカヴァーされている。特にジャック・ホワイトは『ファン・ハウス』、ジョン・ライドンカート・コバーンは『ロー・パワー』をベスト・アルバムに挙げている。

ディスコグラフィ

アルバム

  • 『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』 - The Stooges(1969年)
  • 『ファン・ハウス』 - Fun House(1970年)
  • 『ロー・パワー』 - Raw Power(1973年)※イギー・アンド・ザ・ストゥージズ名義。旧邦題『淫力魔人』
  • 『ザ・ウィヤードネス』 - The Weirdness(2007年)
  • 『レディ・トゥ・ダイ』 - Ready to Die(2013年)

脚注

注釈

  1. ^ ストゥージス」の表記もある。

出典

  1. ^ a b c Erlewine, Stephen Thomas. “The Stooges Biography, Songs & Albums”. AllMusic. All Media Network. 2021年11月13日閲覧。
  2. ^ Thompson, Graham (2007). American Culture in the 1980s. Edinburgh: Edinburgh University Press. p. 134. ISBN 0-7486-1910-0 
  3. ^ Fekadu, Meskin (2014年3月18日). “Scott Asheton, drummer for pioneering punk band the Stooges, dies at 64”. The Washington Post. 2021年11月13日閲覧。
  4. ^ Tawa, Nicholas E. (2005). Scarecrow Press. p. 179. ISBN 0-8108-5295-0 
  5. ^ Christgau, Robert (1977年10月24日). “Avant-Punk: A Cult Explodes . . . and a Movement Is Born”. Village Voice. http://www.robertchristgau.com/xg/music/avantpunk-77.php 2021年11月13日閲覧。 
  6. ^ ザ・ストゥージズのギタリスト、亡くなる barks 2009年1月7日
  7. ^ イギー・ポップ、トレードマークのステージ・ダイブを語る barks 2013年7月4日
  8. ^ イギー・ポップ、“MTVの『Jackass』に影響を与えたのは俺だ” barks 2001年7月22日
  9. ^ イギー・ポップ、亡くなったスコット・アシュトンとの思い出を語る ro69.jp 2014年3月21日
  10. ^ ザ・ストゥージズに黄金期のギタリストが復帰 ro69.jp 2009年9月7日
  11. ^ ストゥージズのロン・アシュトンがMC5のデニス・トンプソンらと組んでいたザ・ニュー・オーダー、1stがボートラ付き再発 amass.jp 2014年7月27日
  12. ^ 淫力魔人(ロー・パワー) Sony Music
  13. ^ ザ・ストゥージズのギタリスト ロン・アシュトンが死亡 イギー・ポップが追悼コメント ro69.jp 2009年1月8日
  14. ^ イギー・アンド・ザ・ストゥージズ、6年ぶりの新作『Ready to Die』を4月30日にリリース ro69.jp 2013年2月26日
  15. ^ ストゥージズのスコット・アシュトン逝去、盟友の死にイギー・ポップ沈痛”. billboard-JAPAN (2014年3月18日). 2018年4月21日閲覧。
  16. ^ ザ・ストゥージズのサックス奏者スティーヴ・マッケイ、死去”. BARKS (2015年10月12日). 2018年4月21日閲覧。
  17. ^ ジャームッシュが綴るザ・ストゥージズの真実、ドキュメンタリー予告編公開”. BARKS (2017年6月21日). 2018年4月21日閲覧。
  18. ^ 500 Greatest Albums of All Time: The Stooges, 'Fun House' | Rolling Stone
  19. ^ 500 Greatest Albums of All Time: Iggy and the Stooges, 'Raw Power' | Rolling Stone
  20. ^ 500 Greatest Albums of All Time: The Stooges, 'The Stooges' | Rolling Stone
  21. ^ The 100 Best Debut Albums of All Time: The Stooges, 'The Stooges' | Rolling Stone

外部リンク


ザ・ストゥージズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 04:19 UTC 版)

ジェームズ・ウィリアムソン」の記事における「ザ・ストゥージズ」の解説

アナーバー滞在したウィリアムソンは、ザ・ストゥージズのローディー務めていたジーク・ゼトナー(英語版)、ビル・チーザム(英語版)と同居し2人ジャムセッションを行うなどして、ギター練習続けていた。 その頃セカンドアルバムの『ファン・ハウス英語版)』リリース後のザ・ストゥージズはツインギター体制への移行試みていて、当初ロン・アシュトン友人でもあったビル・チーザムをセカンドギタリストとしたが、本人プロフェッショナルな音楽活動続けるつもりがなく、加えて技術的に問題があったため参加短期間終わりイギーギター腕前作曲も行うことを知っていたウィリアムソンに声をかけ、ウィリアムソン加入承諾した加入後の最初ギグ1970年12月5日だった。 しかし、その頃のザ・ストゥージズは混乱期でもあった。商業的に失敗し、ビル・チーザムに見るようにメンバー短期間入れ替わりイギースコット・アシュトン薬物問題抱えていた。ロン・アシュトン薬物手を出していなかったが、そのために作曲パートナーだったイギー疎遠になり、既に薬物手を出していたウィリアムソン新加メンバーにも関わらず新たな作曲パートナーとしての地位獲得した。 しかし、混乱陥ったバンド当時契約していたレコード会社エレクトラ見限っており、ある日イギーウィリアムソンスコット・アシュトン同居していたマンション訪れると次回作に収録予定新曲聞かせるように要求しウィリアムソンイギー披露したところ、出来が悪い酷評してそれを理由契約解除してしまった。これによりバンド更なる苦境に陥り、加えてイギー薬物依存治療施設通い始めウィリアムソン肝炎罹患してデトロイトの姉の家で療養生活に入ったことから継続的な活動難しくなり、結果ウィリアムソン治癒した頃には、バンド解散表明していた。

※この「ザ・ストゥージズ」の解説は、「ジェームズ・ウィリアムソン」の解説の一部です。
「ザ・ストゥージズ」を含む「ジェームズ・ウィリアムソン」の記事については、「ジェームズ・ウィリアムソン」の概要を参照ください。

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