ファン‐ハウス【fun house】
読み方:ふぁんはうす
ファンハウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 13:35 UTC 版)
東芝EMI株式会社(現:ユニバーサル ミュージック合同会社)に制作ディレクターとして勤めていた元ザ・リガニーズの新田和長が1984年4月に独立し、東芝EMIの全額出資を受けて株式会社ファンハウス(FUN HOUSE, INC.)を設立。新田と関わりがあったJ-POPや歌謡曲系の音楽家が東芝EMIから移籍。東芝EMIが販売元となった。 1988年、東芝EMIにディレクターとして勤務していた石坂敬一が同社取締役に就任すると、新田は東芝EMIから全株を取得し、4月にインディペンデント系のレコードレーベルとする。 のちに東急グループに参加し、Bunkamura内で「TOKYU FUN STUDIO」を設立。ポップス系の販売元をポリドール株式会社に移管したが、歌謡曲とタイアップ系の一部CDは東芝EMIからの販売が継続された。 1993年に、録音スタジオが設置された自社ビルを恵比寿に、滞在リゾート型の録音スタジオを札幌芸術の森に隣接する「札幌アートヴィレッジ地区」にそれぞれ竣工。バブル崩壊後共に売却したが建物はスタジオを含め現存。札幌のスタジオはビートルズのプロデューサー「ジョージ・マーティン」が監修した。 1996年3月に、東急グループから離脱。BMGビクターの子会社となり、全作品の販売元を同社に移管して出資母体のビクター エンタテインメント株式会社(現:株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)が流通を担当。同時に録音部セクションが独立し「株式会社バーディハウス」として運営開始。恵比寿の旧本社のスタジオおよびBunkamuraの「Bunkamura Studio」(旧TOKYU FUN STUDIO)の運営管理および録音・マスタリング・アーカイブ業務を行っている。札幌市のスタジオは閉鎖状態を経て、2008年に札幌市のイベント会社「WESS」および松山千春の個人事務所「オフィス・ゲンキ」が買取。「芸森スタジオ」としてリニューアル・オープンした。運営は、WESSおよびオフィス・ゲンキの他にクリエイティブオフィスキュー、ランタイムミュージックエンタテインメント、クリプトン・フューチャー・メディア、デジタルガレージ等が出資した会社「株式会社SAVE」が行なっている。
※この「ファンハウス」の解説は、「BMG JAPAN」の解説の一部です。
「ファンハウス」を含む「BMG JAPAN」の記事については、「BMG JAPAN」の概要を参照ください。
- ファン・ハウスのページへのリンク