BMG JAPAN
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株式会社BMGJAPAN(対外表記:株式会社BMG JAPAN[注釈 1]、ビーエムジージャパン、BMG JAPAN, INC.)は、1987年から2009年まで存在したソニー・ミュージックエンタテインメント日本法人(以下SMEJ)傘下のレコード会社である。2008年9月まではSME米国法人(旧:ソニーBMG・ミュージックエンタテインメント、以下ソニーBMG)の日本法人でもあった。本社は東京都千代田区六番町にあった。
注釈
- ^ 登記上の商号は「BMG」と「JAPAN」の間にスペース(空白)がない。
- ^ この当時はアルファベットが登記上使用できなかったため、実際の表記はアール・ブイ・シー株式会社として登記された。詳しくは「商号#商号登記」を参照されたい。
- ^ ヒットユニオンはイギリス発祥のファッションブランド「FRED PERRY」を1995年から保有する他、その他ファッションブランドを展開しているファッション衣料の製造販売会社。
- ^ 実際は移籍しなかったが発足時に長渕剛も名を連ね、甲斐バンドは移籍したが、ファンハウス時代の音源を買い戻してEMIミュージック・ジャパンに再移籍した。また、オフコースは発足時に移籍しているが、発足の前年にグループを脱退してソロ活動を始めていた鈴木康博は移籍せず、そのまま東芝EMIに残留している。
- ^ 1968年から1993年まで在職した。
- ^ 1994年にポリグラム(日本法人)代表取締役社長に就任、1998年にシーグラムの買収によるポリドール株式会社との再編によりユニバーサル ミュージック株式会社(現:ユニバーサル ミュージック合同会社)代表取締役就任。
- ^ 現在はすでに売却している。
- ^ この当時もまだアルファベットが登記上使用できなかったため、実際の表記はビー・エム・ジー ビクター株式会社として登記された。詳しくは「商号#商号登記」を参照されたい。
- ^ この当時もまだアルファベットが登記上使用できなかったため、実際の表記は株式会社ビーエムジージャパンとして登記された。詳しくは「商号#商号登記」を参照されたい。
- ^ この当時もまだアルファベットが登記上使用できなかったため、実際の表記は株式会社ビーエムジーファンハウスとして登記された。詳しくは「商号#商号登記」を参照されたい。
- ^ アミューズとKDDIが共同出資したレコード会社。
- ^ ファンハウス時代の作品のみ、所属事務所BOWINMAN MUSIC(現・BAJ)が保有。コロムビア時代の原盤権はコロムビアとBOWINMAN MUSICが保有し、代表原盤権はコロムビアにある。2016年の再結成後の原盤権は、所属事務所とソーゴー東京とコロムビアが共同で立ち上げたTYMS PROJECTが保有。
- ^ 原盤権はシンコーミュージックが保有。現在は東芝EMI・ファンハウス時代の作品はビクターから再発売。
- ^ 原盤権は渡辺音楽出版が保有。谷村新司とのデュエット「サライ」を除いては、2002年にドリーミュージックに発売権が移管。
- ^ 原盤権はフジパシフィックミュージックが保有。現在はユニバーサルミュージック/USM JAPANに発売権が移管。
- ^ ビクターはポプコン受賞曲のみ、キング時代の曲は公式な活動記録からは外されており、歌手としてはファンハウス以降が正式な活動期間。
- ^ 原盤権はシンコー・ミュージックが保有。2008年にSPEEDSTAR RECORDSから再発売された。
- ^ a b 原盤権は渡辺音楽出版が保有。現在はドリーミュージックに発売権が移管。
- ^ 原盤権は渡辺音楽出版が保有。
出典
- ^ a b グループ会社再編に関するお知らせ 株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント、2009年8月24日
- ^ 講演録「私の建築手法」1996年 大江匡「都市へのプロトコル」より 東西アスファルト事業協同組合
- ^ 各種メディアでは、「BMGジャパン」と表記され、6年3ヶ月ぶりに、両社の合併前の法人名称及び表記に回帰したこと(実質的には二代目法人扱い)となった。
- ^ JAPAN 完全子会社化 ソニー株式会社
- ^ (株)BMG JAPAN 役員の変更、執行役員制の導入及び組織改正等について 株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント、2009年6月1日
- ^ “MILLION オムニバス CDアルバム”. Neowing. 2021年5月28日閲覧。
BMG JAPAN(BMGファンハウス)
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「BMG JAPAN」の記事における「BMG JAPAN(BMGファンハウス)」の解説
1997年1月、BMGビクターが株式会社BMGジャパンへ社名変更。 1998年、演歌部門を廃止。これに伴い、全所属演歌歌手が移籍。 1999年7月、株式会社BMGジャパンが株式会社ファンハウスを吸収合併。ベルテルスマン資本による株式会社BMGファンハウスが発足、ファンハウス創業者の新田は同社副社長に就任。新田は2001年8月、武市智行と共同でドリーミュージックを設立、BMGの経営から退いた。 2003年、ゾンバ・レコーズ・ジャパンを吸収合併。 2004年8月、親会社が、合併によりソニーBMG・ミュージックエンタテインメント(Sony BMG Music Entertainment, Inc.)となる。 2005年10月、株式会社BMGファンハウスから株式会社BMG JAPANへ社名変更。21年半続いたファンハウスの名称が消滅。 2008年10月、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントの完全子会社となる。 2009年6月、社内カンパニー制の導入。以後、国内制作部門をアリオラジャパン、洋楽部門をRCA/JIVEグループと呼称する。 2009年10月、国内制作部門を新設分割により設立される株式会社アリオラジャパンへ、撤退前に制作された演歌・歌謡曲部門等の音源をソニー・ミュージックダイレクト、RCA/JIVEグループを吸収分割により株式会社ソニー・ミュージックジャパンインターナショナルへそれぞれ承継する形で、BMG JAPANはソニー・ミュージックエンタテインメントに吸収合併され解散。旧日本ビクター・RCAレコード事業部時代から通算して41年に及ぶ歴史に幕を下ろし、規格品番「BV」もアリオラジャパンを経て、現在のソニー・ミュージックレーベルズへ引き継がれた。
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