ザ・ストゥージズ参加までの音楽活動
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「ジェームズ・ウィリアムソン」の記事における「ザ・ストゥージズ参加までの音楽活動」の解説
ウィリアムソンが級友のスコット・リチャードソンとキャリア最初のバンドを結成したのは、デトロイトで9年生(英語版)になった時で、バンド名は「ザ・チョウズン・フュー(選ばれし者たち)」と名付けられた。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ゼムなどの曲をカバーしていたバンドだったが、既にウィリアムソンは作曲を始めていた。このバンドにはウィリアムソンが脱退した後にロン・アシュトンがベーシストとして加入している。 バンド結成からしばらくして、ウィリアムソンは学校から退学処分を受けた。長髪を切れば復学できるという条件付きだったが、ウィリアムソンは拒否し、そのまま欠席を決め込むと学校は改めて彼を呼び出して事情を聴き、ウィリアムソンを少年院に送ることに決めた。ウィリアムソンはそこで髪を切られた。 1966年前半、少年院を出たウィリアムソンはニューヨークから80マイル北方にある小都市の寄宿学校に転校した。必然的にチョウズン・フューからは脱退することになった。母親に頼んで転校先にギターとアンプを送ってもらったウィリアムソンはコバ・シーズというバンドを結成し、改めてリードギタリストとしての腕を磨き始めた。偶然、バンドメンバーの父親にCBSの重役がいて録音機材が借りられたことから、メンバーの発案でリハーサルセッションが音源化された。この音源は2010年頃に発売された。 少年院から寄宿学校へ移る間、一時的に自宅に帰っていたウィリアムソンは友人とともにチョウズン・フューのライブを見に行き、その際にチョウズン・フューにベーシストとして加入していたロン・アシュトンと、加えてロン・アシュトンの親友であり、プライム・ムーヴァーズというブルース・バンドにいたイギー・ポップと面識を得て、その後、連絡を取り合う仲になった。彼らがザ・ストゥージズを結成した後も、エレクトラからリリースしたデビューアルバム「イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ(英語版)」のミキシング中に寄宿学校の友人と訪問するなど、親交を深めていった。 1970年、寄宿学校を卒業したウィリアムソンは、ザ・ストゥージズが活動拠点としていたデトロイト近郊の小都市アナーバーに向かった。既にザ・ストゥージズはウィリアムソンがミキシングを見学したデビューアルバムに続き、セカンドアルバム「ファン・ハウス(英語版)」をリリースしていた。
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