ファンハウス時代とは? わかりやすく解説

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ファンハウス時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:46 UTC 版)

THE YELLOW MONKEY」の記事における「ファンハウス時代」の解説

SPARKリリース直後1996年7月日本コロムビア離れてファンハウス(現・アリオラジャパン)に移籍吉井移籍関し「『ちょっと違うレーベルやってみたいね』っていうことだった」「色々折り合いつかない部分出てきた」ためと後年振り返っている。同年12月には日本コロムビアから非公認ベスト・アルバムTRIAD YEARS actI〜THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY』が発売されバンド唯一のミリオンセラー記録したファンハウス移籍後は独自のロック追求吉井6thアルバムSICKS』の制作にあたり、「1日3曲録音をノルマ」とする。作成した300曲を80曲に絞り、さらに厳選したものを収録曲とした。吉井当時の状況振り返り自分の中で、音楽ものすごく噴出してるのがわかった」と語っている。『SICKS』は吉井自らが最高傑作自負する作品となり、オリコン初登場1位、オリジナルアルバムでは自身最高の売上記録した。 11thシングル『楽園』、12thシングルLOVE LOVE SHOW』、そしてシングルとしては最大ヒット記録した13thシングルBURN』など、シングルにおいても、いずれも45万枚上の高いセールスキープ。14thシングル球根』は、シングルでは自身唯一のオリコン初登場1位を記録するなど、この時期に最も安定した人気を保つことになる。 1997年精力的なライブ活動行い2月には20公演を回る「ARENA TOUR '97 "FIX THE SICKS"」を実施しトータル15万人動員同年7月に「フジロックフェスティバル '97」に参加後述)。同年8月全国5会場のスタジアムツアー「TOUR '97紫の炎〜」を実施し、4万人近いキャパシティ軒並みソールドアウトにした。

※この「ファンハウス時代」の解説は、「THE YELLOW MONKEY」の解説の一部です。
「ファンハウス時代」を含む「THE YELLOW MONKEY」の記事については、「THE YELLOW MONKEY」の概要を参照ください。

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