イギー&ザ・ストゥージズとしての活動再開
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「ジェームズ・ウィリアムソン」の記事における「イギー&ザ・ストゥージズとしての活動再開」の解説
ウィリアムソンは音楽業界に本格的に復帰する前の練習替わりとして、クラシック・ロックのカバーバンド、ケアレス・ハーツをバックに、スティーヴ・マッケイをゲストに迎えてザ・ストゥージズの曲をセルフカバーするライブを行った。これは後に音源化され、ウィリアムソン初のソロアルバムとなった。 そして、2009年11月7日、ブラジルのサンパウロで行われたライブにイギー&ザ・ストゥージズのメンバーとして復帰した。 ウィリアムソン復帰後、間をおかずにザ・ストゥージズはロックの殿堂入りすることが決まった。授賞式当日に、ウィリアムソンは家族を連れて出席し、バンドマスターとしてイギーとともに受賞スピーチを行った。スピーチ後、受賞当時はトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのメンバーだった旧友のスコット・サーストンと久し振りに共演し、「サーチ・アンド・デストロイ(英語版)」を披露した。 ロックの殿堂入り後、もともとミックスにも音質にも不満を持っていた『キル・シティ』のリマスタリングを手掛け、希望どおりの仕上がりによる再発を実現した。 こうしてウィリアムソンの音楽業界復帰は幸先の良いスタートを切ったが、2年ほど経ってイギー&ザ・ストゥージズは騒動に見舞われる。 2011年6月、フランスで行われたヘルフェス(英語版)出演後にスコット・アシュトンが脳卒中で倒れてしまい、療養に入ることになった。バンドはツアー中だったため、代役としてラリー・ミューレン(トビー・ダミット)(英語版)を起用した。 続いて2012年、イギーがソロアルバム『アプレ (イギー・ポップのアルバム)(英語版)』のリリースを巡って当時契約していたレコード会社EMIと揉め、イギー&ザ・ストゥージズもろとも契約を解除されてしまう。これにより、2011年から製作を始めていたアルバム『レディ・トゥ・ダイ (ザ・ストゥージズのアルバム)(英語版)』のリリース先は宙に浮くことになった。 それでも『レディ・トゥ・ダイ』の製作は継続された。楽曲はイギーの自宅があるマイアミにウィリアムソンが滞在して共作したが、その後は基本的にウィリアムソンの主導で製作され、イギーはウィリアムソンから送られたトラックにヴォーカルを吹き込むという形をとった。療養中のスコット・アシュトンもアルバムレコーディングには参加した。スコットの代役としてツアーメンバーを務めたラリー・ミューレンもパーカッションとして参加している。加えてこのアルバムにはその後、ウィリアムソンのソロ活動で大きな役割を務めることになるペトラ・ヘイデン(英語版)がコーラスとしてゲスト参加している。他のゲストとしては旧友のスコット・サーストンがキーボードで参加した。 『レディ・トゥ・ダイ』はインディーズレーベル大手のファット・ポッサムから2013年4月にリリースされ、ザ・ストゥージズのアルバムとしては初めてビルボード総合チャートのトップ100に入った(96位)。しかし、スコット・アシュトンは発売後のツアーには参加せず、ラリー・ミューレンが再び代役を務めた。
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