ボウイナイフ(Bowie Knife)
ボウイナイフ
【英】 Bowie Knife
ボウイナイフ (Bowie knife) は刃長20-30cmのクリップポイント、しっかりしたダブルヒルトを持った大型のシースナイフ(鞘付きナイフ)で、武器であると同時に日用品としても利用でき、一般にいうところのハンティングナイフやサバイバルナイフの原型となっている。
元はヨーロッパで使われていたブッチャー・ナイフ(屠殺用ナイフ)を改造したものが始まりだといわれている。
西部開拓時代の英雄、アーカンソーの開拓者でディビー・クロケットらと共に1836年にアラモ砦を最後まで守備していたジェームズ・ボウイ(ジム・ボウイ)が、決闘やバッファロー狩りに愛用していたことからボウイナイフと呼ばれるようになった。 現在のフィールドまして街中では実用性はほとんどないが、米国人の持つフロンティアスピリットをすこぶる刺激するのか、アメリカでは今も盛んにカスタムナイフビルダーから大量生産の製品に至るまで幅広く製造されており、フィールドナイフの定番として、あるいはコレクターズアイテムないしインテリア用品として愛用されている。 なお、この原型を考案したのはジェームズ・ボウイ当人ではなく、兄のレジン・ボウイであると伝えられている。彼はバッファロー狩りに出かけた際に、持っていたナイフが非力であったことからひどい怪我を負ったため、これに懲りて後日特注の丈夫なナイフを持つようになったという。

ボウイナイフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/21 16:10 UTC 版)
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ボウイナイフ(Bowie knife)は、ナイフの一種。西部開拓時代に武器と作業用の道具を兼ねて盛んに使われた。大きなヒルト(鍔)とブレード、丈夫なハンドルなどがあるシースナイフ(鞘付きナイフ)。
諸説・歴史的背景
ハンティング・ナイフの原型であり、元はヨーロッパで使われていたブッチャー・ナイフ(屠殺用ナイフ)を改造したものが始まりだといわれている。西部開拓時代の英雄、アーカンソー州の開拓者でデイビー・クロケットらと共にアラモに散ったジェームズ・ボウイ(ジム・ボウイ)のは長さ9.25インチ(≒23.5cm)、幅1.5インチ(≒3.81cm)のブレードがあった。
現在のフィールド(原野)まして街中では実用性はほとんどないが、米国のフロンティアスピリットを体現する工芸品としての側面を持ち、アメリカでは「カスタムナイフビルダー」と呼ばれるナイフ専門の刃物職人やメーカー各社が製造中。戦闘を想定したものからコレクターズナイフ(蒐集対象に据えられる製品群)、インテリアの大量生産品がある。
原型を考案したのはジェームズ・ボウイ当人ではなく、兄のレジン・ボウイであると伝えられている。彼はバッファロー狩りに出かけた際大怪我を負い、後日自分で考案した特注のナイフを持つようになった。そのナイフはジェームズにも愛用され、更に改良が施され、一時期売れた。
ジェームズは後のアラモの戦いで戦死したが、当時の記録によれば彼は熱病に冒された病床をメキシコ兵に襲われ、フリントロック銃で応戦するも討ち取られたという。敵の耳にも知れ渡っていた有名な彼のナイフは、突入したメキシコ兵らによって記念に鹵獲されたとも、既に其処にはなかったとも、諸説囁かれてはいるが行方不明となってしまっている。ただ、彼は生涯に幾度か改良を重ねながらナイフを新調しており、「新調したから使われなくなった前のナイフ」と見られるものや、彼のナイフが有名になって後に作られたと見られる類似するナイフは、由来の真贋が往々にして不明ながらも、何本か報告されているようだ。アーカンソー歴史博物館(リトルロックThird Street200 E.)には、そういったナイフが収蔵されている[1]。
1830年代以前の初期のボウイナイフは先端からやや急な角度で幅広となっているが、現代の戦闘用ナイフでは素材の信頼性向上と加工技術の発達により、より先端部が細く鋭くなっているなどの傾向が見られる。しかし、この先端部シルエットの変更を除けば、現在のユーティリティナイフでも、ボウイナイフで見られる工夫からの大きな変更点は少ない。現代ナイフへの最も大きな影響はサバイバルナイフへの反映だろう。
大型で見栄えが良いため、ハリウッド映画等フィクション作品にも数多く登場する。[1982年]]の映画『ランボー』で、主人公はボウイナイフスタイルのカスタムナイフ(ジミー・ライル作)を多彩に使いこなし、以後のサバイバルナイフブームの火付け役となった。ナイフメーカー各社はこぞってレプリカを製作、「ランボーナイフ」という造語も生まれたがこれらは例外を除けば、殆どがボウイナイフ。[2]。
脚注
- ^ アーカンソー歴史博物館資料
- ^ 『ナイフ・マガジン』1992年6月特大号「世界のファクトリーナイフ2179本大カタログ」(ワールドフォトプレス)参照。
たとえば米ファクトリーナイフメーカーのAL-MARがジョージ・H・W・ブッシュ大統領にフロンティアスピリッツを象徴するナイフとしてボウイナイフを贈呈した記念の製品として「プレジデント・メモリアルボウイ」という製品がリリースされている(同P.10)
参考文献
- 参考書籍『KNIVES新版 石器からラブレスまで』 ISBN 4-906125-93-X
関連項目
ボウイナイフ
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ボウイは激しい気性でも知られていた。1826年、保安官であり、また銀行家でもあったノリス・ライト(Norris Wright)に借金を申し込んだが断られた。保安官選挙において、ボウイが対抗馬を応援していたことの仕返しだった。これが元で喧嘩となり、ライトがボウイを撃った。弾丸が逸れて、今度はボウイが素手でライトを殺そうとしたが、ライトの友人に止められて果たせなかった。その後は狩猟用ナイフをいつも持ち歩くようになった。現在では伝説的なこのボウイナイフは 9.25インチ(≒23.5cm)の刃渡りと、1.5インチ(≒3.81cm)の幅がある大振りなものだった。 その翌年、ボウイはミシシッピ州ナチェズ近くのサンドバー(砂州)で起こった決闘 (サンドバーの決闘)に立会人として参加したが、決闘相手の立会人としてライトがいた。決闘は最終的には立会人を巻き込む乱闘となり、ボウイは撃たれながらもナイフでライトを刺し殺した。この戦いでボウイの名声は、すご腕のナイフ使いとして南部中に広まり、すぐにテキサス中の男がボウイの持っているのと同じナイフを鍛冶屋に注文した。
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