ボウィアヌムの戦いとは? わかりやすく解説

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ボウィアヌムの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/12 07:45 UTC 版)

ボウィアヌムの戦い
戦争:第二次サムニウム戦争
年月日紀元前305年
場所:ボウィアヌム(現在のボヤーノまたはピエトラッボンダンテ
結果:ローマの決定的勝利[1]
交戦勢力
共和政ローマ サムニウム
指導者・指揮官
ティベリウス・ミヌキウス・アウグリヌス
ルキウス・ポストミウス・メゲッルス
スタティウス・ゲリウス
戦力
不明 不明
損害
不明 不明
サムニウム戦争

ボウィアヌムの戦い紀元前305年に発生した共和政ローマサムニウムの戦いである。

戦闘

二人のコンスル(執政官)、ティベリウス・ミヌキウス・アウグリヌスルキウス・ポストミウス・メゲッルスが率いるローマ軍サムニウム軍に決定的な勝利を収め、第二次サムニウム戦争は終了した。

その後

ボウィアヌムの戦いでの敗北により、サムニウムは継戦意思を失い、ローマが提示した講和を受け入れるしかなくなった[2]。戦いに勝利したとみなされたローマは、紀元前314年から続いていた劣勢を挽回し、比較的寛大な条件での講和を要求することとなる。紀元前304年までに、ローマはサムニウム領土のかなりの部分を編入し、いくつかの殖民都市を建設した。当初敗北したとしても、戦略的反撃により領土を拡張するというパターンは、その後のローマの歴史において一般的なものとなっていく。

脚注

  1. ^ Turning Points In Military History - Page x by William R. Weir
  2. ^ Outlines of the history of Rome - Page 41 by Henry White

参考資料




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