補充執政官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 22:40 UTC 版)
「マルクス・フルウィウス・クルウス・パエティヌス」の記事における「補充執政官」の解説
マルクス・フルウィウスは紀元前305年に補充執政官に就任するが、執政官を務めたのはこのときのみであった。この年、ローマは第二次サムニウム戦争に勝利した。リウィウスの主説では、執政官ティベリウス・ミヌキウス・アウグリヌスとルキウス・ポストゥミウス・メゲッルスはボウィアヌムの戦いで鮮やかにサムニウム軍に勝利し、ローマに戻り凱旋式を実施した(但し、凱旋式のファスティには記録されていない)。しかし別説ではティベリウス・ミヌキウスは戦闘での傷が元で死亡し、マルクス・フルウィウスが補充執政官に任命され、ミヌキウスの軍の指揮をとりボウィアヌム(現在のボヤーノまたはピエトラッボンダンテ)で勝利した。こちらの説はマルクス・フルウィウスがサムニウムに勝利したとする凱旋式のファスティと一致する。
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