補充執政官就任まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 05:49 UTC 版)
「ルキウス・ウァレリウス・フラックス (紀元前86年の補充執政官)」の記事における「補充執政官就任まで」の解説
フラックスに関する最初の記録は紀元前99年のものである。その時フラックスはアエディリス・クルリス(上級按察官)であったが、護民官ガイウス・アップレイウス・デキアヌスに裁判にかけられた。デキアヌスが護民官に就任したのは12月10日であり、おそらくすぐに告訴されたと思われるため、フラックスは紀元前99年に上級按察官を務めていたと推定される。この場合、従兄弟ルキウスが執政官であった際に按察官選挙に立候補したことになり、おそらく罪状は選挙違反であろう。裁判の結果は不明であるが、その後のフラックスの経歴から判断して、無罪となったと思われる。 フラックスがプラエトルに就任したのは、紀元前93年と思われる。キケロの演説の中に、クァエストル(財務官)のマルクス・アウレリウス・スカウルスがルキウス・フラックスを告発することができなかったという部分がある。現代の研究者はこれは本記事のフラックスで、前法務官としてアシア属州総督を務めていたときの出来事と推定している(紀元前92年)。アシア属州の都市は、フラックスに敬意を表して競技会を開催することとし、そのためにお金を集めたと考えられている。この金はスルリの街に保管され、後に彼の息子が受け取った。 遅くとも紀元前87年半ばまでには、フラックスはルキウス・コルネリウス・スッラと内戦を繰り広げていたマリウス派に加わり、オスティア・アンティカを攻撃し、ここを占領した。紀元前86年1月、執政官に選出されていたマリウスが死去するが、もう一人の執政官ルキウス・コルネリウス・キンナはフラックスを補充執政官に任命した。執政官任期中、フラックスは危機的状況にあった負債を緩和する法律を制定した。この法律は借金の1/4を、銀貨ではなく銅貨で支払うことで、借金を完済したとみなすものであった。サッルスティウスはこの法案を称賛している。一方でパテルクルスは「最も不名誉」としている。評価はどうであれ、フラックスの法律は、深刻な問題を解決することに役立った。
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