ロブ・マンフレッド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 15:40 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ロブ・マンフレッド | |
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2015年
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MLBコミッショナー | |
就任 2015年1月25日 |
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前任者 | バド・セリグ |
個人情報 | |
生誕 | 1958年4月26日(63歳)![]() ニューヨーク州ローム |
国籍 | ![]() |
出身校 | コーネル大学 ハーバード・ロー・スクール |
職業 | 弁護士 |
署名 | ![]() |
ロブ・マンフレッド(英語: Rob Manfred, 本名:ロバート・D・マンフレッド・ジュニア(Robert D. Manfred Jr., 1958年4月26日 - )は、アメリカ合衆国の弁護士、経営者。2015年1月より第10代MLBコミッショナーを務めている。
経歴
コーネル大学で理学士を取得し、ハーバード・ロー・スクールで法学博士を取得した。専攻は労働法。
1987年にMLB機構に入った。1994年から1995年のMLBストライキでは弁護士として主導した。1998年に執行副社長に昇格した。2013年に最高執行責任者 (COO)に昇格した。前任のバド・セリグの引退表明に伴い、2014年8月に次期コミッショナーに選出され[1]、2015年1月に就任した。2018年11月、2期目の2024年まで任期延長された[2]。
評価
コミッショナー就任後、従来のルールをいくつも変更している。申告制故意四球[3]、野手がマウンドに行く回数の制限[4]、イニングの終了時を除き投手は最低でも3人の打者に投げる義務[5]、両リーグ指名打者制など、試合時間の短縮を狙う新たなルールが多い。
ルール変更で賛否両論あるものの、スタットキャストの導入、キューバの選手が亡命せずにMLB球団との契約できるようにキューバ野球連盟と移籍制度の合意[6]、ヨーロッパでの初の公式戦開催など、功績もある。
ただ、サイン盗みを行ったヒューストン・アストロズへの処分が軽い、そのアストロズの2017年のワールドシリーズ優勝に対して、「優勝トロフィーは単なる金属...」と発言したり[7]、ロックアウトで交渉が決裂した後の記者会見で笑顔を見せるなど物議を醸すことも多々ある。
脚注
- ^ “セリグ氏の後継者にマンフレッド氏、MLB次期コミッショナー”. フランス通信社 (2014年8月15日). 2020年5月23日閲覧。
- ^ “MLBマンフレッド・コミッショナー任期延長決定 東京五輪を「可能な限りサポート」”. スポーツニッポン (2018年11月17日). 2020年5月23日閲覧。
- ^ “敬遠四球「1球も投げずに」 大リーグ、ルール変更発表”. 日本経済新聞 (2017年3月3日). 2020年5月23日閲覧。
- ^ “時間短縮の新ルール発表 マウンド訪問回数を制限”. 日刊スポーツ (2018年2月20日). 2020年5月23日閲覧。
- ^ “MLBがルール改正、投手のワンポイント起用が禁止に”. フランス通信社 (2020年2月13日). 2020年5月23日閲覧。
- ^ “MLBと選手会、キューバ野球連盟と移籍制度で合意”. サンケイスポーツ (2018年12月20日). 2020年5月23日閲覧。
- ^ [1]
外部リンク
ロブ・マンフレッド
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「MLBコミッショナー」の記事における「ロブ・マンフレッド」の解説
2015年1月25日に第10代コミッショナーに就任した。 弁護士として1980年代から労使交渉などでMLBに携わるようになり、1994年にストライキが起きた際にはオーナー側の相談役を務めた後、1998年にセリグのコミッショナー就任に併せてMLB入りした。その後セリグの右腕として、労使交渉や薬物問題などで活躍。特に度重なる労使交渉でストライキを回避した実績が評価され、セリグの後任に選出された。
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