三菱グループと西武グループ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:57 UTC 版)
「江川事件」の記事における「三菱グループと西武グループ」の解説
太平洋クラブライオンズ球団社長(1972年)、クラウンライターライオンズ球団代表(1976年)を歴任し、1978年の西武ライオンズ発足に伴い球団代表に就任して西武黄金時代を築いた坂井保之は、自著『深層「空白の一日」』で以下の通り述べている。 江川はアメリカ留学中、後見人を務める三菱商事の現地駐在員の住居に身を寄せて、西武球団からのスカウトの交渉を拒絶し続けた。堤義明はこれに対し、西武グループ(西武バス・西武タクシー・西武運輸)の車両を納入していた三菱自動車工業の経営陣を介し、駐在員に協力を求めるよう三菱商事本社に掛け合ったものの、「社員個人のプライベートには干渉できない」と対応されたため、西武グループ代表の堤義明は三菱商事に対しても激怒した。 このため、西武バスなど西武鉄道グループ各社では、1975年からバス車両を三菱自動車工業(現:三菱ふそうトラック・バス)製に統一していたが、1979年度の導入分より三菱製車両の購入を中止し、ほぼ全車両を日産ディーゼル工業(現:UDトラックス)製に変更した。その際に日産ディーゼルが選ばれた理由は、埼玉県上尾市に本社を置く同社が西武ライオンズの後援企業だったためである。大宮駅発着のライオンズ観戦バスの車内広告や車体広告には日産ディーゼルが広告を出稿していた。 また、すでに資本面で西武鉄道グループから独立し、西武流通グループの筆頭企業となっていた西武百貨店もこれに同調し、三菱関連商品を全て店頭から撤去した。 なお、西武バスグループではその後、1998年からは並行していすゞ自動車製の車両も新製導入したため、日産ディーゼル製のみの導入ではなくなっている。また2003年からはコミュニティバス用に三菱製小型バスの導入を開始しており、堤義明の失脚後は、2010年にUDトラックスのバス製造事業終了を受け、翌2011年より三菱製の大型路線車の導入を再開している。 また、21世紀に入ると西武鉄道では車両の電装品に三菱電機の製品を使用するようになっている。 一方、江川側の説明としては、江川の著書『たかが江川、されど江川』を本宮ひろ志が漫画化した『実録たかされ』第2巻で、江川は当時、西武ライオンズの宮内巌球団社長に会い「自分の周囲の人間の顔を潰すため(西武には)入団できない」と説明したという。また、宮内が西武球団や堤義明に対して「江川に会って断られた」と言ったのか、「(江川に)会わせてもらえなかった」と言ったのかは分からないとしている。
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