ドラフト直前の巨人逆指名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:57 UTC 版)
「江川事件」の記事における「ドラフト直前の巨人逆指名」の解説
法政大学では1年目から六大学野球のエースとして活躍し、通算47勝(史上2位)、完封数17はリーグ記録、ベストナインにも6度選ばれ、通算奪三振数443個(当時1位)などの記録を残す。大学4年となった1977年11月に野球部の活動を終了。 11月9日、江川は元衆議院議長で母校の作新学院の理事長兼院長の船田中を訪問し、4年間の大学野球生活の終了を報告するとともに、来たるドラフト会議後のプロ球団との交渉を一任することを要望し、船田も快諾した。ところが、船田は19日に東京・平河町の船田事務所にて記者会見し、「江川君は巨人を強く望んでいる。身柄を一任されている私としては、本人の希望をかなえさせてあげたい」「指名がくじ引きであることは承知している。各球団が話し合って善処してほしいと期待している」と語り、希望球団は巨人であること、さらに他球団には江川の指名を回避してほしいと表明した。 船田が巨人を逆指名した事に対し、プロ野球界からは「船田さんがどんな大物政治家であろうが、仮に総理大臣であろうが、その発言や意思に野球界が動じるわけがない」(コミッショナー・金子鋭)、「江川家の意向を述べるだけなら、それは自由だ。しかし、それがドラフトで他球団を拘束することにはならない。意向を述べることも自由なら、指名することも自由だ」(セ・リーグ会長・鈴木龍二)、「船田さんの政治的発言がどうあろうとプロ野球にドラフトというルールがある以上、通用しません」(中日球団代表・中川清)、「あくまでドラフトの趣旨があるんだし、事前にはどういうべき筋合いのもんではない。ルールを崩すわけにはいかない」(南海球団代表・森本昌孝)などと反発の声が出た。
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