ドラフト指名、テスト入団など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 02:23 UTC 版)
「東京メッツ」の記事における「ドラフト指名、テスト入団など」の解説
国立の現役1年目を1973年、火浦健の現役1年目を1974年とすると、メッツのドラフト指名は以下のようになる。 1972年の夏の甲子園で白新高校は準優勝し、メッツが国立を指名、同期の学友・山井英司を阪神タイガースが5位で指名するが山井は入団せず。 1973年から国立玉一郎が現役開始。(ただし、『野球狂の詩』の外伝的作品である『野球大将ゲンちゃん』では、主人公・力道元馬、および鉄五郎の孫・武司の出生年である1970年秋の時点で、玉一郎は「メッツの主砲」と呼ばれ、4番打者を務めている) 1973年11月のドラフトで王島大介が阪神タイガースから指名され、学友の山川投手は太平洋クラブライオンズから指名された。阪急ブレーブスが江川卓を、大洋ホエールズが山下大輔を指名。このとき、メッツは財政上の理由で江川らを避けて唐部と丘を指名し、12月の入団テストで火浦健が国立を三振にとり、入団決定。 1973年秋から1974年春までのオフ、TO砲がT,OヌードルのCMキャラクターに。 1974年に入った入団テストで長島太郞が4年目で合格。春から火浦とTO砲が対阪神タイガース戦で別々に現役デビュー。立花薫もこの時期の入団と思われる。 また、TO入団後のドラフトで野村南海が新潟西高校の日下部を指名するが本人は早稲田に入学、学友の富樫をメッツが指名。 TOの人気で岩田とオーナーは「これで江川を指名できる財力ができた」と言っていたが、74年秋のドラフトでメッツが指名した相手は日下部で(作品では富樫のメッツ入団から4年たったことになっている)、日下部は岩田鉄五郎との電話で入団を承諾。 75年秋のドラフトでメッツが水原勇気を指名し、76年から現役開始。 岩田鉄五郎は山田を、五利監督は不知火または中西球道の獲得を検討していたが、山田や岩鬼が指名された1994年秋のドラフト会議にはメッツは参加していなかった。
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