読売グループと西武グループ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:57 UTC 版)
「江川事件」の記事における「読売グループと西武グループ」の解説
この当時、江川事件に加え、松沼博久・雅之兄弟を巡る争奪戦など、読売ジャイアンツと西武ライオンズの球団間の争いは多岐に渡り、最終的に親会社である読売グループと西武鉄道グループ(現:西武グループ)の遺恨にまで発展した。 読売新聞・報知新聞、日本テレビ(日テレ)は西武鉄道グループ・西武流通グループ(後の西武セゾングループ→セゾングループ。2001年に実質的に消滅)の広告・CMを締め出した。逆に西武鉄道も駅構内ポスター・車内吊り広告から読売グループの広告を締め出している。 さらにこの遺恨はプロ野球中継にも波及し、新生ライオンズの西武球場における中継では、日テレは1979年5月19日に対阪急戦のデーゲームを中継しているが(解説:中村稔)、それ以降は一部年度での散発的なものにとどまった。また同時期に開局し、当時から同球団と密接な関係にある地元局のテレビ埼玉(テレ玉)が、当時先発の首都圏独立UHF3局(tvk・チバテレビ・群馬テレビ)で実施していた日テレ制作の後楽園における巨人主催試合のトップ&リレーナイターのネットワークを、開局直後の1979年に受けただけで翌年から打ち切る事態に発展した。ただし前述の通り、一部年度には日テレもデーゲームを散発的に放送したほか、その後も読売テレビ制作の近鉄・南海主催の対西武のデーゲームを、日テレがネットしなかった際にテレ玉が代わってネット受けすることがあった。 なお、1991年に当時の読売の最高実力者だった務臺光雄が死去してからはこの遺恨も自然消滅し、以降、堤義明と古くから親密である渡邉恒雄が読売の実力者となってからは両グループの関係は修復された。 修復後の1996年オフに巨人入団を熱望していた西武の清原和博内野手がFA宣言した際は、堤から渡邉に直々に「清原を獲ってやってほしい」という旨の連絡を入れている。日テレも西武の松坂大輔投手の登板試合を巨人戦と二元中継したほか、2001年にBS日テレでも1試合が放送された。また、ビジターの地元系列局向けの中継を読売テレビ(対阪神)と福岡放送(対ソフトバンク)が制作している。 2006年には堤義明の異母兄で、セゾングループの創業者であり、事件当時は西武鉄道の取締役でもあった堤清二が、日テレ(当時、現:日本テレビホールディングス)の社外取締役に就任し、2013年11月に死去するまで務めた。
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