読売ジャイアンツコーチ・フロント時代
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「伊原春樹」の記事における「読売ジャイアンツコーチ・フロント時代」の解説
2006年10月10日、巨人の一軍野手総合コーチに就任(監督の原辰徳に電話をかけて「OBとして立て直したい、私にやらせて欲しい」とコーチ就任を申し出た結果実現した)。2007年開幕前に一軍ヘッドコーチに肩書が変更された。攻撃時は三塁ベースコーチを担当した。 2008年、兼任していた三塁ベースコーチを緒方耕一一軍外野守備走塁コーチに任せ、ヘッドコーチに専念する。 2009年、原がWBC日本代表監督に就任した関係で、3月のオープン戦において監督代行を務めた。シーズンでは再びヘッドコーチに専念し、最終的にリーグ優勝・日本一に貢献した。 2010年、リーグ4連覇と日本一連覇を逃した責任を取ってヘッドコーチを辞任するが、球団の慰留を受け、10月25日に球団編成本部シニアアドバイザーに異動した。 2012年1月、2011年12月31日付けで球団編成本部シニアアドバイザーを辞職したことが発表された。
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