観光地としての発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:46 UTC 版)
「ヴィクトリアの滝」の記事における「観光地としての発展」の解説
1900年頃になり、セシル・ローズによるイギリス南アフリカ会社がザンベジ川上流の鉱物採掘権と植民地支配、さらに象牙、獣皮、滝北東部での森林伐採などを狙って進出してきた。これに合わせて滝の周辺へのヨーロッパ人の入植が始まった。当時は滝の上流数キロメートルにある Old Drift という場所に川を横切る鉄線が張られており、それを伝って丸木舟やはしけで川を渡っていた。 セシル・ローズはカイロとケープタウンを鉄道で結ぶことを考えており、ザンベジ川に橋を建設することになった。さらに彼は通過する列車に滝の水煙がかかるような場所に橋を建設すべきだと主張し、Second Gorge が選ばれた。そして1905年、ヴィクトリアフォールズ橋が完成した。 1905年には南のケープタウンと、1909年には北のベルギー領コンゴとが鉄道で結ばれ、ヨーロッパ人が簡単に訪れることができるようになった。当時、滝の北側の北ローデシア(現・ザンビア)と南ローデシア(現・ジンバブエ)はいずれもイギリス領であり、観光地としての人気は鰻上りであった。そして、ヴィクトリアフォールズ町は観光拠点として発展した。
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