ホロコースト否認論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 09:44 UTC 版)
詳細は「ホロコースト否認」を参照 ホロコーストについては、その実在や規模を疑問視する声が存在する。たとえばニュルンベルク裁判においてヘルマン・ゲーリングなどの被告は、「私はいかなる時にも、人殺しを命じた事はないし、残虐行為を指示したり、それを容赦したこともありませんでした。(1946年8月31日ニュルンベルク裁判ヘルマン・ゲーリングの最終陳述)」自分たちは大量虐殺に関与していないし、そんな事実も知らなかったとして無罪を主張していた。また、戦後には主に在野の歴史研究家や政治活動家の間からホロコーストに対する疑義が唱えられるようになった。しかし否認論者の主張は学界では認められておらず、人種主義的な反ユダヤ主義、反イスラエル、もしくはナチズムの復興をはかる政治的な動きと見られている。こうした立場は、「ホロコースト否認(否定)」、あるいはより広い意味を包含する目的で「ホロコースト・リヴィジョニズム (Holocaust revisionism)」と呼ばれている。日本でこうした立場から単行本を出版している論者(西岡昌紀、木村愛二)は、「ホロコースト見直し論」という訳語を使っている。また、こうした立場を取る日本の歴史家加藤一郎(文教大学)は、「ホロコースト修正主義」と言う訳語を使用している。日本におけるホロコースト否認論の批判者は、「ホロコースト修正主義」という訳語を好む傾向が強い。 主な主張には、1988年にアウシュヴィッツを訪れ、同地で公開されている「ガス室」が本当に処刑用のガス室であったか否かを検証した『ロイヒター・レポート』、当時マックス・プランク研究所で化学による博士課程にあったゲルマー・ルドルフのルドルフ・レポート(1993年)がある。また、歴史家であったデイヴィッド・アーヴィングも「ナチス政策の正当化とホロコースト否定」について著書を記しているが、1996年にはアメリカ人の歴史学者デボラ・リップシュタット(英語版)は、アーヴィングが意図的に事実をゆがめて書いていると非難した。アーヴィングはリップシュタットと彼女の書籍を出版した会社を名誉毀損で訴えたところ、イギリスの裁判所ではリップシュタットの主張が正しいと認定される事件が起きている(アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件)。2006年、アーヴィングはオーストリアの裁判所によってホロコースト否定の罪によって起訴され、この場で「私は1989年にホロコーストを否定したが、1991年にアイヒマン論文を読んでからは認識を改めた」「ナチスは数百万人のユダヤ人を殺した」「具体的な数字は知らない。私はホロコーストの専門家ではない」と、自らの否定説を撤回するような発言を行ったものの、3年の懲役刑を受けた。 また、日本では、一連のユダヤ陰謀論書籍で知られる宇野正美がアンネの日記は捏造であると述べたフランスのロベール・フォリソン(フランス語版)などの説や、ロイヒター・レポートを引用してたびたびホロコーストを否定する書籍を出版している。また、社会問題となったものとしては、医師の西岡昌紀がロイヒター・レポートなどを引用して書いた、「『ガス室』はなかった」という記事が、月刊誌「マルコポーロ」(1995年2月号)に掲載されたマルコポーロ事件が特に著名である。この記事は寛容博物館(英語版)の運営団体にあたるサイモン・ウィーゼンタール・センターによって激しい抗議を受けた。出版元であった文藝春秋は当時の社長・田中健五が公式に謝罪して退任するとともに、マルコポーロそのものの廃刊と編集長の花田紀凱の解任を決定した。1997年には自らの否定説を梶村太一郎と金子マーティンによって批判された木村愛二が、掲載誌の『週刊金曜日』と著者の二人を名誉毀損で告訴しているが、1999年2月に全面敗訴している。この際裁判所は「ホロコーストは世界にあまねく認められた歴史的事実」という認定を行っている。 2006年3月6日、イラン国営日刊紙Jomhouri-e Eslami(Jomhouri Islami/ジョムホーリ・イスラーミ)の準公式的記事は、元ドイツ連邦共和国首相ヘルムート・コールがドイツにおけるイラン人ビジネスマンたちとの夕食会の席で、イラン大統領マフムード・アフマディーネジャードの発言「ホロコーストは作り話」という件に関し「心底賛成する」と述べ、また、「アフマディネジャド大統領が言ったことは、我々が胸に深く秘めていたことだ。我々はこのことを長い間言いたかったが、言う勇気がなかった」とも述べたと伝えた。しかし後にコール自身が公式にこの発言を否定し、その根拠も存在するため、これは誤報であったことが判明した。同年の12月11日にはホロコースト・グローバルヴィジョン検討国際会議という否定論者を集めた国際会議がテヘランで開催され、欧米諸国などから強い批判を受けた。 2008年11月、聖ピオ十世会の司教リチャード・ウィリアムソンは「ユダヤ人600万がガス室で殺害されたことは史実ではない」と語り、ユダヤ人の死亡者総数は約20万から30万人だと主張した(これは歴史修正主義者の説とほぼ一致する数である)。ウイリアムソンら聖ピオ十世会の聖職者は1988年に叙任問題で自動破門されていたが、教皇ベネディクト16世は聖ピオ十世会との宥和を目指すため、2009年1月に彼らの破門を解除した。バチカンは破門解除にあたってウィリアムソンの発言を知らなかったと釈明している。ベネディクト16世はホロコースト否認をくりかえし非難しており、ウィリアムソンは後に聖ピオ十世会からも追放された。
※この「ホロコースト否認論」の解説は、「ホロコースト」の解説の一部です。
「ホロコースト否認論」を含む「ホロコースト」の記事については、「ホロコースト」の概要を参照ください。
- ホロコースト否認論のページへのリンク