マルコ‐ポーロ【Marco Polo】
マルコポーロ【マルコポーロ】(草花類)
※登録写真はありません | 登録番号 | 第4740号 |
登録年月日 | 1995年 9月 14日 | |
農林水産植物の種類 | ゆり | |
登録品種の名称及びその読み | マルコポーロ よみ:マルコポーロ | |
品種登録の有効期限 | 15 年 | |
育成者権の消滅日 | ||
品種登録者の名称 | フレッター・エン・デン・ハーン・ベヘール社 | |
品種登録者の住所 | ウフストヘーステルヴェッハ 202A,2231 BD レインスブルフ オランダ王国 | |
登録品種の育成をした者の氏名 | フローアフレッター | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は,出願者所有の実生系統どうしを交配して選抜,育成されたものであり,花は大輪の淡紫ピンク色で縁部が鮮紫ピンク色の切花向きの晩生種である。 草丈は75~99㎝,茎の直径は 5.0~ 9.9㎜,色は上部,中部及び下部とも濃褐,毛じは無,節間長は茎の中央部が10~19㎜,止葉下が20~39㎜である。葉序は 3/8,葉全体の形は長楕円形,葉身の中央部の反りはやや内反転,先端部の反りは水平,ねじれは無,葉長は12~15㎝,葉幅は30~39㎜,数はやや少,着生角度は90~ 119°である。つぼみの形はⅣ型,花の向きは30~59°,花房の形状は総状花序,花形はスカシユリ型で一重,花径は 180~ 209㎜,内花被の長さは13~17㎝,幅は60~79㎜,外花被の長さは12~15㎝,幅は30~39㎜である。花色は花弁の基部,地色,中肋部及び裏面は淡紫ピンク(JHS カラーチャート9502),縁部は鮮紫ピンク(同9504),つぼみは淡紫ピンク(同9202)である。内花被1枚の斑点は20~29,外花被は 1~ 9,内花被の形はⅤ型,外花被の形はⅣ型,内花被の反転の程度はⅧ型,外花被の反転の程度はⅣ型,花被のねじれは 1/8未満,花被上の乳状突起は有である。花糸の色は白,花粉の色は赤褐,第1花梗の長さは60~89㎜,太さは中,花梗の色は褐,向きは30~59°,1花茎の花数は少,花の香りは中,開花期は晩である。 「ル・レーブ」と比較して,花弁縁部の色が濃いこと,中肋部の色が淡いこと,内花被及び外花被の斑点の数が少ないこと,花の香りがあること,開花期が晩いこと等で,「ブラッシングピンク」と比較して,葉全体の形が長楕円形であること,花弁縁部の色が濃いこと,内花被及び外花被の斑点の数が少ないこと,開花期が晩いこと等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は,出願者のほ場(オランダ王国)において,1983年に出願者所有の実生系統どうしを交配し,1986年に開花した個体の中から選抜,以後,増殖を行いながら特性の調査をし,その特性が安定していることを確認して育成を完了したものである。 |
マルコ・ポーロ
マルコポーロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 23:05 UTC 版)
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マルコ・ポーロ(マルコ)
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「東方見文録」の記事における「マルコ・ポーロ(マルコ)」の解説
もう一人の主人公。『東方見聞録』を書いたマルコ・ポーロその人。父ニコロと共にキリスト教伝授の旅に出ていたが、文禄が突然現れた事で父の腰が抜けて歩けなくなってしまった為、文録と共に旅を続ける事となる。文録とは対照的に礼儀正しい青年。
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マルコ・ポーロ
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「アンチャーテッドシリーズ」の記事における「マルコ・ポーロ」の解説
『UC2』のストーリーに関わる。24年間、全行程15,000kmの旅をして宝を得て帰ってきた、「東方見聞録」等でも有名な実在した冒険家。ゲームでは、「マルコ・ポーロの日記」が秘宝「チンターマニ石」を探す手がかりとなる。ラテン語で書かれており、その内容は、マルコ・ポーロが率いた船団のうち、詳細な記録のない消えた13隻の船を示唆するものである。
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マルコ・ポーロ
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「アンチャーテッド 黄金刀と消えた船団」の記事における「マルコ・ポーロ」の解説
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マルコ・ポーロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:28 UTC 版)
マルコ・ポーロの体験を記録した『東方見聞録』においては、釈迦の事を「彼の生き方の清らかさから、もしキリスト教徒であればイエスにかしずく聖人になっていただろう」あるいは、「もし彼がキリスト教徒であったなら、きっと彼はわが主イエス・キリストと並ぶ偉大な聖者となったにちがいないであろう」としている。また『東方見聞録』の記述では仏教という言葉は無く、アブラハムの宗教以外の宗教は全て「偶像崇拝教」と記述されているが、その偶像崇拝の起源は、釈迦の死後にその生前の姿を作ったのものとしている。釈迦はマルコ・ポーロの時代より1世紀前に、ローマ教会よりヨサファトの名で聖人として加えられていた(仏教とキリスト教)が、マルコ・ポーロはそんな事はまったく知らなかった。
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マルコ・ポーロ
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ルネサンスの前にヴェネチアの大旅行家、マルコ・ポーロにも触れなくてはならない。マルコ・ポーロはアジアの各地を歴訪し、元王朝に長らく仕えて「世界の記述」を残したといわれる。この著作は、ヨーロッパ人にそれまであまり知られていなかったアジアに対する見方を一変させ、彼らの描く地図にも進歩が認められるようになった。ただ学問への理論的な寄与は少なく、地理学的には、マルコ・ポーロは、ヨーロッパ人の世界観の拡大という業績しか残せていない。
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「マルコ・ポーロ」の例文・使い方・用例・文例
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