マルコ・ポーロによる記録
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クビライの治世に大元ウルスを訪れたとされるマルコ・ポーロは河間路についても『東方見聞録』の中で言及している。 カチャンフ(河間府)は南方に位置するりっぱな大都市で、カタイ地方に属している。住民は偶像教徒で火葬の風習をもっている。もっともキリスト教徒も若干はここに住んでおり、市内に一教会堂がある。カーンの治下に属し紙幣が行用されている。生糸の生産が多く、住民は商業·手工業に従事する。金欄織や琉瑠織の製造額がおびただしい。このカチャンフ市は多数の都邑を管轄下に持っている。城内を大河が貫流しているが、この河は多くの運河や水路によってはるばるカンバルック市にまで連絡されているから、多量の商品がこの河を通じてカンバルックに運輸されている。…… — マルコ・ポーロ、『東方見聞録』
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マルコ・ポーロによる記録
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「建昌路 (四川)」の記事における「マルコ・ポーロによる記録」の解説
クビライの治世に大元ウルスを訪れたとされるマルコ・ポーロはチベット地方からカラジャン地方(大理一帯)の間に位置する「ガインドゥ地方」について『東方見聞録』の中で言及している。 ガインドゥは西方に位置する地方である。……ガインドゥはかつて独立の王を戴いていたが、カーンに帰属してより後はカーンの派遣する総督の治下に置かれている。住民は偶像教徒でカーンに臣属する。この地方には都市・集落が多い。首府もやはりガインドゥといい、境域内の辺界に位置している。また一大鹹湖があって多量の真珠を産する。…… — マルコ・ポーロ、『東方見聞録』 また、マルコ・ポーロはガインドゥでは男が自らの妻・娘・姉妹が外国人と関係を持つことを容認する風習があること、ガインドゥで豊富に産出する塩を固めたものを貨幣がわりに利用していることなどを伝えている。
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マルコ・ポーロによる記録
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クビライの治世に大元ウルスを訪れたとされるマルコ・ポーロは平陽府についても『東方見聞録』の中で言及している。 太原府/タイユァンフをたって西方に七日間の旅を続ける。途上は一帯にみごとな地域で、その間に数多くの都市・集落を過ぎるが、いずれも商工業で賑わっている。このあたりからは多くの商人が各地に出向いていて、非常な商利を上げている。七日間の騎行の末、平陽府/ピアンフ(Pianfu<Ping-yang Fu)という都市に着くが、これまた重要な大都会で商人が多い。住民は商業・手工業に従事し、絹を多量に産出する。 — マルコ・ポーロ、『東方見聞録』
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