マルコムXとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 07:53 UTC 版)
「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア」の記事における「マルコムXとの関係」の解説
キングとマルコムXは黒人解放運動でも穏健派と過激派の中核とみなされており、しばしば対立した。暴力的手法を含む強行的な手段による人種差別の解決を訴え、同時期に一気に支持を得て台頭し始めていたマルコムXが1965年2月に暗殺されると、マルコムXとはその手段において相当の隔絶があったにも関わらず「マルコムXの暗殺は悲劇だ。世界にはまだ、暴力で物事を解決しようとしている人々がいる」と語った。しかしその数年後、キング自身も暗殺されてしまう。暗殺されたのも彼と同じく39歳の時であった。 両者は直接長期間対談したことはなく、直接対面したのも1964年3月26日にアメリカ合衆国議会議事堂で偶然顔を合わせた時のみだった。 一時期は公然とキングの姿勢を批判し、自らの演説の中で非暴力抵抗を笑いものにしていた事さえあったマルコムXだったが、暗殺の前年には自らの過激な思想の中核をなしていたブラック・ムスリムのネーション・オブ・イスラム教団と手を切っていた。 同時にマルコムXは、新たな思想運動のステップを登るべく「なんとかキング牧師と会って話がしたい」と黒人社会学者ケニス・クラークの仲介で会談を持とうと模索している矢先のできごとであった。キングは、そのためマルコムXの暗殺を特に嘆いていた。
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