マルコポーロ廃刊事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 01:33 UTC 版)
1995年、文藝春秋社が発刊していた月刊誌『マルコポーロ』上で、「アウシュビッツのガス室は、ポーランドの共産主義政権もしくは同国を占領支配したソ連による捏造」「ユダヤ人絶滅計画は存在しなかった」とする自説を寄稿。大戦中の収容所におけるユダヤ人大量死の原因は、ガス室による大量殺害ではなく、収容所の衛生状態悪化による発疹チフスの爆発的発生と言う、通説とは全く違う別の悲劇であったと主張した。文藝春秋社は、ユダヤ系人権団体サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)とイスラエルからの抗議を受けた(記事で、「アウシュビッツの「ガス室」を捏造したと名指しされたポーランド大使館は抗議していない)。特に、SWCの抗議は、文藝春秋社全体に対する物に発展した。この結果、文藝春秋社は、著者である西岡に相談しないまま、記事の内容を撤回・謝罪した上、『マルコポーロ』を廃刊にし、編集長であった花田紀凱を解任した(マルコポーロ事件)。西岡自身に対しては同誌廃刊が発表される当日まで何ら抗議や圧力は寄せられなかった。西岡は、文藝春秋社のこの決定に抗議し、1997年には、単行本『アウシュウィッツ「ガス室」の真実・本当の悲劇は何だったのか』(日新報道、1997年)を発表し、再反論している。 「ホロコースト否認」も参照 このマルコポーロ事件の際には、厚生省(当時)の職員であった為、厚生省上層部から記者会見中止を求められた。それを拒否して記者会見を開いた為、厚生省上層部と険悪な関係に陥った。マルコポーロ事件と同時期に起きた阪神大震災においては、マルコポーロ事件を理由に、直属の上司から、震災現場での医療ボランティア参加を許可されなかった。この経験から、元厚生省職員として、阪神大震災当時の厚生省(当時)の対応の遅れを繰り返し批判している。 事件についての報道では、日本共産党のしんぶん赤旗と毎日新聞が西岡に対して特に批判的であった他、朝日、読売、日経も、西岡に批判的であった。一方、産経新聞は中立的であった。又、スポーツ新聞各紙と夕刊フジは、西岡の記事の当否については論評をさけつつも、西岡個人については好意的な取り上げ方をし、暗にSWCと文春の姿勢を「言論弾圧」として批判する姿勢を見せた。又、雑誌では、フライデーが、同様に記事の当否についての判断は避けつつも、西岡をかなり好意的に取り上げたほか、当時発行されていた左翼系月刊誌『噂の真相』は、西岡に対して非常に好意的だった。 江川紹子は、月刊『創』1995年4月号に寄稿した「『マルコポーロ』廃刊事件で何が問われたか」において、西岡の記事を支持しないと明言した上で、SWCの抗議の方法については「民主主義のルールを踏み越えていると思う」と書いて批判し、言論の自由という点では西岡を擁護した。 宅八郎は『週刊SPA!』連載「週刊宅八郎」で文藝春秋の『マルコポーロ』謝罪会見を取材しており、また、西岡と対談している。その中で宅は、「『ガス室はなかった』と断ずる説得力を感じなかった」「議論の余地を断つ『廃刊』なんて無責任」「『かなり杜撰な記事だ』と思っている。『証拠がないから歴史にない』と結論するのは乱暴だと思う。しかし、その上で、著者としての西岡の権利が守られるべき」と述べている(95年2月22日号『週刊SPA!』掲載「週刊宅八郎」第8回および95年3月15日号『週刊SPA!』掲載「週刊宅八郎」第11回)。宅八郎は、後に、小林よしのりを批判した座談会本『教科書が教えない小林よしのり』(ロフトブックス・1997年)の座談会に西岡を参加させている。 小林よしのりは、週刊SPA!に連載していた「ゴーマニズム宣言」において、マルコポーロ事件を取り上げ、西岡を攻撃した。これに対して、西岡は、1997年に、宅八郎らと共著書「教科書が教えない小林よしのり」(ロフトブックス・1997年)を発表し、小林の記述には、マルコポーロ事件の基本的な事実関係について、事実誤認がある事を指摘し、反論した(小林は、これに反論していない)。これとは別に、西岡は、その後、小林の著書『戦争論』や『脱原発論』については、アマゾンの書評で好意的に取り上げている。 作家の猪瀬直樹と下村満子・元朝日ジャーナル編集長は、事件直後の2月3日、フジテレビの報道番組『パパイヤ』で、記事についての判断は避けつつ、廃刊事件を巡る批判的報道から距離を置く姿勢を示し、特に猪瀬は、ニューズウィーク日本版の過去の記事を引き合いにして、両論併記だったならば、こうした問題提起に問題は無かったのではないか?と言う趣旨のコメントをしている。 長年に渡り、パレスチナ問題を取材して来たフォトジャーナリストの広河隆一は、事件から3年後に発表した自著「パレスチナ難民キャンプの瓦礫の中で/フォト・ジャーナリストが見た三十年」(草思社・1998年)の中で、事件について、次のように書き、西岡に対して、一定の擁護をしている。 「ガス室が存在した証拠がないという説は本当に荒唐無稽なのか。この問題に疑問を呈したり否定したりする文章を掲載することは、広告引き上げの圧力を受けるほどの問題なのか。ホロコーストの検証はタブーなのか・・・・この事件は私たちに多くの問題を投げかけた。」 (広河隆一「パレスチナ難民キャンプの瓦礫の中で/フォト・ジャーナリストが見た三十年」(草思社・1998年)166ページ) そして、ポーランドのアウシュヴィッツ博物館を取材し、博物館の展示内容について次のような指摘をする。 「展示場を進むと、解放されたときの写真が目を引いた。人々は鉄条網と鉄条網のあいだの細い通路を歩いている。しかしこれは不自然だ。その通路を私も歩いたが、そこは収容所を二重に取り囲む柵の役割をはたしている場所だ。ここを歩いても周囲をまわるだけで、入ったところから出るほかないのだ。解放された人々がこんな場所に入る必然性はまったくないし、連行されてきた人々がこんなところに入りこむ可能性もまったくない。私はその写真の前で長く考えこんだ。これは解放した軍の写真家が、わざわざこういう背景で撮影したのにちがいない。」 (広河隆一・同書159ページ) そして、その上で 「ホロコーストの真摯な研究を拒絶するべきではないと思う。」 (広河隆一・同書171ページ)と述べて、西岡の立場に一定の支持を与えている。 又、副島隆彦は、この問題に関しては、西岡を支持している。更に、美容整形外科医の高須克弥は、ツイッター上で、マルコポーロ廃刊事件における西岡の主張を支持する発言をしている。
※この「マルコポーロ廃刊事件」の解説は、「西岡昌紀」の解説の一部です。
「マルコポーロ廃刊事件」を含む「西岡昌紀」の記事については、「西岡昌紀」の概要を参照ください。
- マルコポーロ廃刊事件のページへのリンク