マルコ・ポーロ『東方見聞録』の弘安の役
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「元寇」の記事における「マルコ・ポーロ『東方見聞録』の弘安の役」の解説
マルコ・ポーロの『東方見聞録』には以下のようにマルコ・ポーロが伝聞として聞いた弘安の役に関する記述がある。 「…さて、クビライ・カアンはこの島の豊かさを聞かされてこれを征服しようと思い、二人の将軍に多数の船と騎兵と歩兵をつけて派遣した。将軍の一人はアバタン(アラカン(阿剌罕))、もう一人はジョンサインチン(ファン・ウェン・フー、范文虎)といい、二人とも賢く勇敢であった。彼らはサルコン(泉州)とキンセー(杭州)の港から大洋に乗り出し、長い航海の末にこの島に至った。上陸するとすぐに平野と村落を占領したが、城や町は奪うことができなかった。さて、そこで不幸が彼らを襲う。凄まじい北風が吹いてこの島を荒らし回ったのである。島にはほとんど港というものがなく、風は極めて強かったので、大カアンの船団はひとたまりもなかった。彼らはこのまま留まれば船がすべて失われてしまうと考え、島を離れた。しかし、少しばかり戻ったところに小島(鷹島)があり、船団はいやおうもなくこの小島にぶつかって破壊されてしまった。軍隊の大部分は滅び、わずかに3万人ほどが生き残ってこの小島に難を避けた。彼らには食糧も援軍もなく、もはや命はないものと諦めざるをえなかった。というのも、何艘かの船がいちはやく彼らの国に帰ったのだが、いっこうに戻って来る気配がなかったからである。実は司令官である二人の将軍が互いに憎み合い、そねみ合っていたのである。一人の将軍は嵐を逃れたのだが、小島に残された同僚の将軍の救援には赴こうとしなかった。大風は長く続かなかったので、吹き止んでしまえば戻ることは十分可能だったにもかかわらず、彼は戻ろうとせず、自分の国に帰ってしまった。大カアンの軍隊が残されたこの小島には人の住めるようなところではなく、彼ら以外に生き物の姿はなかった。さて、逃げ帰った者たちと小島に残された者たちがどうなったか、次にお話してみよう。 さて、すでに申し上げたように、小島に残された3万の兵士たちはどのようにして脱出してよいかわからず、もはや命はないものと諦めざるをえなかった。ジパング(日本)の王は、敵の一部が運命に見放されて小島に残され、他はちりぢりに逃げ去ったと聞くとおおいに喜び、ジパング中の船をこぞって小島に赴くと四方八方から攻め寄せた。タタール人(モンゴル人)たちは、戦いに慣れていないジパングの人々が船に警戒の兵を残さず、みな上陸してしまったのを見た。思慮に富んだタタール人たちは一気に動き出し、逃げると見せかけて敵の船に殺到すると、すぐさま乗り込んでしまった。船を守る兵がいなかったので極めて容易なことであった。さて、タタール人たちは船を奪うと、すぐさま本島に向けて出立した。彼らは上陸し、ジパング王の旗をなびかせて進んだ。首都を守る人々はこれに気付かず、てっきり味方が帰って来たのだと思って中に入れてしまった。それでタタール人たちは入城し、すぐさま城郭を占領し、住民たちをすべて外に追い払ったのである。もちろん美しい女たちだけは手元に留めた。さて、大カアンの軍隊はこうして首都を占領したのであったが、これを知ったジパングの王と軍隊とは大いに悲しみ、残された何艘かの船に乗って本島に戻ると、兵を集めて首都を囲んだ。一人として出ることも入ることもできなかった。中に籠もったタタール人たちは7か月の間持ちこたえた。その間、ことの次第をいかに大カアンに知らせるか、夜となく昼となく努めたのだが、結局、知らせることはできなかった。もはや持ちこたえられなくなって、命を助けるかわりに一生ジパングの島から出ないという条件で降伏した。これは1268年に起こったことである(文永の役は1274年、弘安の役は1281年)。大カアンは逃げ帰った将軍の首を刎(は)ねた。もう一方の将軍に対しても、武人にあるまじき振る舞いとして、処刑の命令を出した。 さて、私は今一つ、次のような驚異についてお話しするのを忘れるところであった。それは、戦いの初め、大カアンの軍隊がジパングに上陸して平野を占領した時のことであった。一つの塔を落とすと、中にいた人々は降伏を肯じなかったので、その首を刎ねたのであったが、どうしても八人だけは首を切り落とすことができなかった。その八人は、うまく隠れて外からは見えなかったが、腕の肉と皮膚の間に石を埋め込んでいた。その石には魔術が施れ、決して刃物では殺されぬという効能を帯びる。これを聞いたタタール人の将軍たちはその八人を棒で殴り殺し、その死骸から石を取り出すと大事にしまったのであった」
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