ホロコースト記念碑とその論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 02:49 UTC 版)
「ホロコースト」の記事における「ホロコースト記念碑とその論争」の解説
「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」も参照 2005年5月12日、ベルリンのブランデンブルク門の南に「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 Denkmal für die ermordeten Juden Europas」(通称ホロコースト記念碑)が一般公開された。設計したのはアメリカ・ニューヨーク在住のピーター・アイゼンマン。建設計画はドイツ再統一前の1988年に、開始されたが、慰霊対象者をユダヤ人に限定するのか、それとも戦争犠牲者、シンティおよびロマ、同性愛者、強制労働者、障害者などの犠牲者全体を対象とするか、また、なぜこのような巨大な記念碑を建設する必要があるのかで激しい論争が起きた。1999年、連邦議会は、対象をヨーロッパのユダヤ人に限定することが可決。2003年4月から建設が開始されるが、コンクリートの液化装置と石碑の落書き防止に関わっていたデグサ社が、ナチス時代に強制収容所で使用されたツィクロンBの製造会社の姉妹会社であることが判明し、同年10月に工事は一時停止される。建設責任者のレア・ロッシュ(英語版)は非難されたが、結局、デグサ社への委託は続けられ、同年末に工事が再開され、第二次世界大戦終結および強制収容所解放60周年、ドイツとイスラエルの国交樹立40周年である2005年の完成に至った。 なお、ユダヤ人以外のシンティとロマ、同性愛者といった犠牲者のための記念碑は、連邦政府がすでに建設案を決議し、現在建設計画中である。
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