ホロコースト見直し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 01:33 UTC 版)
西岡は、基本的に『マルコポーロ』に掲載した自説を撤回していない。1997年に出版された自著『アウシュウィッツ「ガス室」の真実・本当の悲劇は何だったのか』の中で、「マルコポーロ」の記事には、サイクロンBの物性や毒性の記述などで、部分的に誤りもあったことを認めた上で、 ナチスドイツがユダヤ人を差別迫害したことは明白である。 しかし、そのドイツと言えど、彼らが、ユダヤ人をただユダヤ人であると言うだけの理由で「絶滅」しようとまでしたとする戦後の主張には証拠が欠けている。 特に、そのような「絶滅計画」の手段として用いられたとされる処刑用ガス室が存在した証拠は全く無い。 収容所でユダヤ人が大量死した悲劇の真の理由は発疹チフスをはじめとする病死である。 それを連合国は、ガス室による殺害の結果であったかのように宣伝した。 といった主張を維持している。 2008年のインタビュー発言によれば、西岡は、元々は非常に左翼的な思想の持ち主で、「週刊金曜日の読者の様な左翼」であり、広瀬隆の著作を読む過程で、その近現代史への見直しに影響を受け、第二次世界大戦についての見方を改めたという(広瀬は、『危険な話』や『億万長者はハリウッドを殺す』などで、ナチスが台頭する背景にアメリカの銀行の意向があったことなどを論じている)。また、広河隆一らのパレスチナ・イスラエルに関する著書などから、ナチとシオニストが協力関係にあったことなどを知り、言われている近現代史の内容に疑問を持つに至ったという。 このような疑問を持つ中で、アメリカの左翼系歴史家アーノ・メイヤーが、「アウシュヴィッツで死亡したユダヤ人の多くは実は病死者であった」と論じていることを批判的に報じた記事を1989年に『ニューズウィーク日本版』で読み、「ホロコースト」の内容に疑問を持った、と述べている。
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